人工知能に「創造性」は宿るか? ~「つくること」とテクノロジーの二百年〜

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椋本 輔

椋本 輔

デザイン及び学術研究教育業,鶴見大学および学習院大学非常勤講師,日本記号学会理事。
2003年横浜国立大学教育人間科学部マルチメディア文化課程卒業。2005年同大学院環境情報学府修士課程修了を経て,2009年東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。専門は,情報・記号についての基礎理論,情報技術の思想史,情報デザイン。
主な著作として,『AI時代の「自律性」:未来の礎となる概念を再構築する』(共著,勁草書房, 2019),『手と足と眼と耳:地域と映像アーカイブをめぐる実践と研究』(共著, 学文社, 2018),『デジタルの際:情報と物質が交わる現在地点』(共著, 聖学院大学出版会, 2014)など。

 

1.「創造性」は計れるか?

 

デジタルコンピューターによる人工知能に「創造性」は宿るだろうか?――それは「創造性」を計る尺度に依る。

では、「創造性」を計ることは可能なのだろうか。――それは「つくること」「つくられたもの」をめぐるプロセスの全てが「数えられる情報」になれば可能である。

「創造性」あるいは「クリエイティビティ」といった日常の用語として、その意味するところは幅広く曖昧なものとなっているが、総じて(人間が)「つくること」についての評価尺度の概念と定義することができるだろう。その「つくられたもの」に我々が触れる時、わたしが眺めるキャンバス上の油絵の具の色合いやそこに浮かび上がる文様、あなたが見つめる書の筆跡の勢い、それ自体はまだ「何か」ではない。それらも既に、根源的な意味での「情報」だが、我々の記憶に照らして「何か」と「名指される」と同時に「この部分がそれである」と「分けられ」、また別の概念と「結び付けられる」「なぞらえられる」ことによって、つまり「記号」となることによって、初めて我々自身が「思考」することができ、他者と語り交わすことができるようになる。

そうして記号になれば、とりわけ言語のレベルで思考・記述され「文字」という記号になれば、我々人間は既に遥か昔から、書き記した物体を介して時間空間の隔たりを超えて伝えることもできたし、印刷というテクノロジーが実用化した時から、人力に依らず大量に複製し、より遠くへ、より多くを伝えることができるようになった。そして十九世紀から二十世紀に掛けては、写真や録音のテクノロジーが実用化され、光学的な写像や、空気を震わせる音の波形を、直接物体に痕跡として刻むことができるようになった。それらを連続的に組み合わせることで、「動き」として一体となった映像までも、我々は機械的に複製・伝送可能な情報として取り扱うことができるようになった。

しかし、それらはまだ最終的に人間の知覚が、そこに英語で言うShapeという意味での「かたち」の直接的な似姿を見出すことのみに依存した「アナログ」機械情報である。一方で、二十世紀半ばに実用化されたデジタルコンピューターというテクノロジーによって複製・伝送・処理されているのが、「デジタル」機械情報である。

デジタル機械情報=デジタルデータは基本的に、全て等しく二値のビット列(010110・・・)だが、まず当初の「電気/電子計算機」の段階では、「数」や「それぞれ数値に置き換えた文字」を論理的に処理=計算することが実現された。「文字数を数える」といったことや「二つの文章の異同を比較する」といった処理は、この段階で既に実現している。しかし、現在我々が当たり前のように使っているパーソナルコンピューターもスマートフォンも、明らかにそれだけではない情報を処理している。先の写真や音、映像といった様々なアナログ機械情報に対応する「マルチメディア・データ」である。写真のデジタル化を例にとれば、その光学的な写像をモザイク状に分割し、それぞれに入る光の強弱を電気的な信号=アナログ機械情報に変換し、さらにそれをA/D(アナログ/デジタル)変換して数量に置き換えることで、いわゆるドットの集合体としての「デジタルな画像データ」となる。文字と同じように、それらも「数えられる=計量・計算できる情報」になるのだ。

しかし、マルチメディア・データも、それらを再び我々が知覚し認識する際には、必ずD/A(デジタル/アナログ)変換され、何らかのアナログ機械情報となり、それは微視的に考えれば、まず「何か」ではない感覚刺激として我々に届く。ある写真の全く同一の画像データを、わたしがiPhoneで眺め、あなたがiPadで眺める時、最終的に液晶画面から発せられる光は、いくら厳密にカラーマッチングを行っても、測定可能なレベルでさえ全く同一にするのは困難であるし、そもそも全く異なる大きさで見える二つの「それ」を同一の「何か」と見なすには、明らかに問題は機械の中では完結せず、我々の側での「記号」としての認識・解釈すなわち観察が不可欠である。

いわばマルチメディア・データは、我々人間・生物が共同で錯覚している「幻」だからこそ、我々を取り巻く世界を全て写し取れるかのように思えるのかも知れない。しかし、それは「計量・計算できる幻」なのである。(参考:椋本輔「擬自律性はいかに生じるか」、『AI時代の「自律性」』所収)

 

2.「つくること」とテクノロジー①:パンチカードとアーツ・アンド・クラフツ

 

時は遡って1801年、フランスの発明家ジョゼフ・マリー・ジャカール(ジャカード)によって、「ジャカード織機」として知られる自動織機が実用化された。これは、織物をつくることが手工芸の段階から徐々にいわゆる「はた織り機」となって行き、十八世紀の幾つかの試みを経て、図版①のように「織柄の文様に対応したパンチカードを利用して、織り機の糸の上げ下ろしを制御する」「パンチカードを交換するだけで、織柄の文様も変更できる」ことを実用化した機械である。
(参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャカード織機

 

十九世紀半ばには、こうしたパンチカードを用いる自動織機と、蒸気機関を用いる力織機が合流し、手工芸に比べれば極めて「人間不在」で、様々な織柄で彩られた織物が大量生産できるようになった。いわゆる産業革命の中核に当たるテクノロジーの一つであり、また当時から、それまでに織物が工場労働になっていく過程で起きていた労働者の負担や児童労働の改善を意図した志と、結果的に起きてしまった失業や労働者の代替可能化など、現在につながる問題もはらんでいた。そして、このパンチカードを用いる自動織機は、同時代におけるデジタルコンピューターの源流と、「つくること」「創造性」をめぐる運動と、それぞれにもつながっている。

 

まず、十九世紀のイギリスではチャールズ・バベッジが、大掛かりな機械式計算機「階差機関」や、計算する値=データだけでなく計算の内容自体についても「プログラム可能/可変」な、現代のデジタルコンピューターにつながる機械式汎用コンピューターとも言うべき「解析機関」をつくろうと試みていた。特に「解析機関」(図版③)は、その差し替え可能な「プログラム」や「データ」に当たるものとして、正にジャカード織機と同様のパンチカード(図版④)を利用していた。「計算の内容=プログラム」と「計算される値」、そして「視覚的な文様と対応する機械情報」が、既に等しく同じ媒体によって扱われていたのである。
(参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/解析機関)

 

   ①ジャカード織機
Copyright © 2006 David Monniaux – Jacquard loom

 

②ジャカード織機によって織られた文様(ウィリアム・モリスのデザイン)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Morris_Dove_and_Rose_Detail.jpg

 

③解析機関(一部の試作品)
Bruno Barral (ByB) – Machine Analytique de Charles Babbage, exposée au Science Museum de Londres (Mai 2009)

 

④解析機関の「演算カード=プログラム」「可変カード=データ」
Karoly Lorentey – Punched cards for programming the Analytical Engine, 1834-71 (20 December 2004)

 

またパンチカードは、現在のマークシートのように人間が元となる情報を数値に置き換えて穿孔した上で、そのパンチカードを機械に通して電気的なスイッチを動かすことで、「大量の正確な集計」を実現することにも用いられた。アメリカの国勢調査は1880年の時点で既に調査後の集計に七年を要し、1890年の調査では集計に十三年掛かってしまうと試算されていたところ、ハーマン・ホレリスによるパンチカード電気集計機械「タビュレーティングマシン」を利用することで、二重チェックを含めて十八ヶ月で完了し、大幅なコスト削減も実現した(ホレリスが設立したタビュレーティングマシン社が、現在のIBMの前身の一つである)。社会的な「ビッグデータ」を扱うテクノロジーの萌芽である。
(参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/タビュレーティングマシン

 

そして当時の産業革命の時代状況の中で、やはり同時代のイギリスで活動していたウィリアム・モリスに代表される「アーツ・アンド・クラフツ」の運動が有った。これは、広い意味ではフランス/大陸系の「アール・ヌーヴォー」や日本における「民芸運動」、後年の「バウハウス」なども含めて、急速な産業化・機械化によって疎外されつつあった古来の(人間が)「つくること」の営みを取り戻す、また「工芸」といった形で概念化してテクノロジーによってむしろ発展させる、といった志向の運動・実践である。それらは、素朴な「ユートピア社会主義」と言われた政治的側面も持ち、また今日「芸術・アート」と並んで「創造性」や「クリエイティブ」といった言葉がよく用いられる「デザイン」という新たな近代的概念の確立や理論化につながった。しかし、ウィリアム・モリスがデザインしてジャカード織機によって織られた織物の文様(図版②)が暗示するかのように、結果的に産業的な大量生産=マスプロダクションを「単に飾り立てる手法」となってしまうこととの葛藤が、今も続いている。

 

3.「つくること」とテクノロジー②:マルチメディア(パーソナル)コンピューター

 

時代は下って、主に1980年代から90年代を中心に、個人や家庭まで普及したデジタルコンピューター=パーソナルコンピューターでも、性能・機能の向上によってマルチメディア・データを扱うことができるようになった。Apple ComputerのMacintoshや、MicrosoftのWindows OSを搭載したパーソナルコンピューターをはじめとする、「マルチメディア(パーソナル)コンピューター」の実用化と隆盛である。

それは、デジタルコンピューターによって人工知能=Artificial Intelligenceの実現を目指す志向と表裏の関係をなす、知能増幅=Intelligence Amplifierという志向・思想の具現化/実用化であった。またマルチメディア・データを扱えるようになったこと、そして最終的に「インターネット」として集約された広汎なコンピューター同士のネットワーク接続を合わせて、現在の我々を取り巻く情報技術によるメディア環境にも直結している。

そして、そこではアーツ・アンド・クラフツを思い起こさせるように、より高度化した産業社会の中で、「個人」が「つくること」の自由を取り戻して「創造性」を解放する、そうした新たな「クリエイティブ・ツール」としてマルチメディア(パーソナル)コンピューターが賞揚されていた。それは、現在のインターネットにおける様々な営み・文化へとつながっていく。

 

「マルチメディア(パーソナル)コンピューター」の広告例(1989/02発行)
“「懐パソカタログ 富士通 FM TOWNS」SASAJIe’S HOME

 

しかし、マルチメディア(パーソナル)コンピューターとインターネットが、社会全体に普及して急速に産業化したことによって、「クリエイティブ・ツール」は再び個人の手から離れた面が有る。端的に言えば、当時「個人がマルチメディア・データを自由に扱うことを可能にするツール」を象徴したAdobeのPhotoshopやIllustratorといったアプリケーションソフトは近年、ハードウェアやOS以上の寡占化が進んだ上で、クラウドで集中管理されるサブスクリプション型のみでの提供となっている。

それがもたらすものは、単に利用する費用といった問題にとどまらない。世界中のユーザー=クリエーターがアプリケーションを操作するプロセスも全てデータとして計量・計算できるようになることで、それはビッグデータによる自律学習型人工知能の学習素材となる。

 

“「デジタルマーケティングを網羅し、新しい「エクスペリエンス」で世界を変革し続けるアドビの今」ニューズウィーク日本版, 2019/1/7

 

実際にAdobeは近年のデモンストレーションにおいて、言語的な指示やラフスケッチからのデザインビジュアルの自動生成、さらには自社が同じくクラウド型で提供しているインターネット上の広告出稿や効果計測といったマーケティングの管理・自動化ツールと連動した広告ビジュアルの自動最適化、などのビジョンを実証段階のものとして提示している。

 

“「手書きのカンプがポスターに…次世代「Adobe Sensei」が見せた未来のワークフロー: 膨大な写真データから適切な選択肢を提案 途中からの変更も容易に」デジカメ Watch (Impress), 2017/11/29

“「この世からABテストはなくせる、アドビが目指すAIの世界」日経クロステック, 2017/12/11

“「人工知能が実現する、クリエイティブ豊かなキャンペーン展開(Adobe Summit 2018 基調講演より)」アドビ システムズ, 2018/4/24

“「アドビの最先端研究デモ「スニークス」で見た“AI×マーケティングの未来”【Adobe Summit 2019】」BUSINESS INSIDER JAPAN, 2019/3/29

 

デジタルコンピューターを基盤とする新たな「クリエイティブ・ツール」は結果として、「つくること」のプロセスまでも「計量・計算できる情報」となり、「つくられたもの」の効果計測と連動して「つくること」が機械的に回り始める、そうした巨大なフィードバック・ループを形成しつつある。

 

4.フィードバック・ループに包摂されていく実空間と身体

 

このような「つくること」の微細なプロセスまで包含したフィードバック・ループについてはAdobeの特権的な立場に依るところも大きいが、より大掴みな「つくること」と「計ること」のフィードバック・ループについては、既にインターネット上のバナー広告をはじめ各社から様々な実用サービスが登場している。

“「AIが作ったバナー広告の効果をAIが評価 「AIアートディレクター」電通グループが開発」ITmedia NEWS, 2019/5/29

“「AIが雑誌の誌面を自動レイアウト。15年分の「暗黙知」を反映」Impress Watch, 2019/7/10

⑤⑥:建築雑誌の過去15年分の誌面データをAIプログラムの学習素材とした「誌面レイアウト自動生成/評価システム」の実例

 

さらに、デジタル化して「計れる」対象は、インターネットや個々の端末上の体験にとどまらず、携帯端末の位置情報や、様々なセンサーからの情報、画像・音声・映像といったマルチメディア・データからの「認識」処理の高度化によって、我々の身体が存在している実空間にも急速に拡大している。古来の屋外広告についても、周辺の人流データを匿名化した個々の属性情報まで含めて分析し、「ターゲット層が多い場所と時間帯」に細かく合わせて広告出稿できるサービスが既に実用化されている。

 

“「届けたいターゲット”を指定できる屋外広告とは? LIVE BOARDが挑む、デジタル看板の革新 – ITmedia ビジネスオンライン」(2020/3/25

 

さらに、前に立った人物のカメラ画像から属性を推定して、それに応じて表示内容を変える自動販売機やデジタルサイネージも、既に現実のものとなっている。ひいては「液晶画面となった電車の車内広告が、同じ路線でも区間によって表示する商品の属性を変え、さらには目の前の乗客の視線をカメラで認識して、その注目時間によって効果計測する。さらに乗客が持っているスマートフォンを介して購買に結び付いた結果を測り、色調や素材画像を自動変更しながらABテストを繰り返して注目時間や購買結果を高めていく・・・」といったフィードバック・ループも、もはや現実的に見えている可能性である。

 

5.そこに「情報」を見ているのは誰か?

 

 

我々が「つくること」も「伝えること」も「つくられたものと出遇う行動」も、さらに実空間における身体の振る舞いまでも、あたかも全てがデジタル化されていく。そうして計量・計算可能となった全ての中心で、既存の最も抽象的な価値尺度──カール・マルクスが指摘したように商品と商品の交換を可能にするための特権的な商品としての「貨幣」──すなわち経済的な価値が交換を仲介し、ついには機械的なフィードバック・ループが自動的に回り始める。「創造性」をそうした交換体系の中だけで位置付けるならば、それは交換価値を尺度として計れるだろうし、デジタルコンピューターによる人工知能にも宿り得るだろう。

こうしたフィードバック・ループは、単に個別のテクノロジーだけでなく、経済という人間のまた本質的な営みにも根ざしているだけに、もはや逃れがたいものに思える。また、我々の営みをあまねく包摂して行く上での鍵となる実空間や身体のレベルでの行動トラッキングも、現下のSARS-CoV-2/COVID-19の世界的感染を契機として、「生命」や「安全」のために全面化の方向が強まっていくだろう。

しかし、「つくること」は本来、我々が向き合う世界を、眺めたり触れたり耳を澄ませたり、それらを通して偶然的に解釈し、また、土塊を握ったり地面に線を引いたり、我々にとっての情報を様々な「かたち」に刻みつけ、そうして「つくられたもの」に向き合って、また偶然的にそこに「意味」を見出していく、本質的な「自由」に開かれたプロセスである。

そして冒頭で精察したように、デジタルコンピューターによって、我々を取り巻く世界を全て写し取り計量・計算可能となるかのように思える「マルチメディア・データ」という存在もまた、我々それぞれの偶然的な解釈=観察やそれを共有する「社会」を不可欠な前提として、初めて存在する「幻」のようなものである。つまり、逃れがたく我々を包摂していくように思える、あたかも自律的に回る機械的/経済的なフィードバック・ループが成り立つためには、実はもう一つのミクロな、デジタルデータに生物としての人間が「意味」を見出だす、すなわち「情報」を観察するフィードバック・ループ──オートポイエーシス・システムとしての自律性も必要不可欠なのだ。

個人的には本稿で見てきたように、我々が「意味」をどのように「デジタルというかたち」に刻んでいるのか、またどのように「デジタルというかたち」から「意味」を見出だしているのか、そうしたデジタルコンピューターと「つくること」の関係の根底を見つめることから、本質的な「自由」すなわち「創造性」への糸口が見つけられるのではないかと考えている。

 


 

(参考)

河島茂生・久保田裕(著)『AI×クリエイティビティ:情報と生命とテクノロジーと。』高陵社書店、2019年
https://ai-creativity.wixsite.com/ai-creativity

河島茂生(編著)『AI時代の「自律性」:未来の礎となる概念を再構築する』勁草書房、2019年
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b481980.html

木下長宏「美術史以前:「無文字文化」と「文字文化」」、『思想史と人類学の対話:ユニバーサル・ミュージアムが近代を問い直す』東海大学課程資格研究センター、2019年、6-29頁
https://www.u-tokai.ac.jp/about/campus/shonan/news/detail/post_1251.html

有馬道子(著)『改訂版 パースの思想:記号論と認知言語学』岩波書店、2014年
https://www.iwanami.co.jp/book/b261079.html

※文中のURLリンク先は全て2020年4月15日確認

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デザイン及び学術研究教育業,鶴見大学および学習院大学非常勤講師,日本記号学会理事。
2003年横浜国立大学教育人間科学部マルチメディア文化課程卒業。2005年同大学院環境情報学府修士課程修了を経て,2009年東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。専門は,情報・記号についての基礎理論,情報技術の思想史,情報デザイン。
主な著作として,『AI時代の「自律性」:未来の礎となる概念を再構築する』(共著,勁草書房, 2019),『手と足と眼と耳:地域と映像アーカイブをめぐる実践と研究』(共著, 学文社, 2018),『デジタルの際:情報と物質が交わる現在地点』(共著, 聖学院大学出版会, 2014)など。