「ラッダイト」の亡霊
人工知能は、人間の仕事を奪うだろうか。
19世紀、産業革命にともなう工業機械の普及がはじまったイギリスで、失業をおそれた肉体労働者が工業用機械を打ち壊す「ラッダイト運動」が発生した。
人工知能や、自律性を備えたロボットの普及が眼前に迫るにつれ、産業革命時と同様、人間の仕事が奪われるのではないかという懸念が広がっている。
この問題を考えるにあたって、重要なことは、「機械化・自動化」と、「知能化」を区別することと考える。
「機械化・自動化」は、産業革命以降、人類社会が経験してきた重大な社会変化であったし、それは一面、人間の仕事を奪うものであった。しかし、ラッダイト運動のような混乱を経験しつつも、人類社会は「機械化・自動化」との折り合いをつけてきたし、全体としては、(甚大な戦争被害や公害などのマイナス面はあったにせよ)社会全体の幸福を増進してきた。コンピューター技術の発展は、今後も「機械化・自動化」を推進するだろうが、人類社会は、いままでそうであったように、折り合いをつけていくだろう。
「知能化された機械」という洗礼
一方、「知能化」は、人類社会にとって、初めての経験である。我々が考察すべきことは、「知能化された機械」―それは、広い意味で「ロボット」と呼ばれてよい―が、仕事のあり方をどう変えるのか、という点だ。
ハリウッド映画に登場するロボットは、家事育児や、単純な肉体労働を担う存在―かつて「奴隷」と呼ばれた存在―として描かれることが多い(そしてストーリー上、必ず反乱を起こす)。そのためか、ロボットが担う仕事というと、家事労働や単純な肉体労働を想像する人が多いように思われる。
しかし、ロボットにとって、人間が簡単にこなす「家事や単純な肉体労働」ほど、不得意なものはない。「野菜炒め」一つとっても、冷蔵庫から食材を取り出し、包装をはがして、水洗いし、食材の特性に即した大きさや形に切り、フライパンを取り出して食材を入れ、炒め、調味料を加えて味見し、食器棚から取り出した皿に盛り付け、食卓まで運ぶ、という一連の動作を滞りなく遂行するロボットを開発することは、現代の技術水準では不可能だし、技術が追いついても莫大な開発費を要するだろう。一人の家政婦を雇用した方が、よほど経済的だ。
以上の例からも明らかなように、ロボット(人工知能)は、その得意な分野でしか、人間の労働に代替し得ない。
では、ロボット(人工知能)が人間に代替しうる得意分野とは何だろうか。
参考例として、ムラタシステム株式会社の「手術準備支援システム」をご紹介したい。
「違うやないか」と教えてくれる
外科手術は、盲腸のような比較的簡単なものですら、数十点の材料、器材、薬剤を取りそろえる必要がある。従来、取りそろえの作業は資格を有する看護師が行ってきたが、一つ間違っただけでも患者の生命に関わるため、慎重にも慎重を期するので、時間とストレスのかかる作業であった。
「手術準備支援システム」において、看護師が行う仕事は、必要な器材等をパソコンに入力するだけである。器材の取りそろえは、資格のない派遣社員が行う。派遣社員は、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着し、手にバーコードリーダーを持ち、HMDに表示された器材等をカゴに入れていく。システムを紹介するビデオ (*1)を見ると、派遣社員は器材棚の間の通路を器用に歩き、指示された器材を見つけ、バーコードリーダーをかざす。正しく器材が選ばれていると、次の器材等が指示される仕組みだ。
このシステムを紹介したNHKクローズアップ現代「ウェアラブル革命 ~“着るコンピューター”が働き方を変える~」(*2)によると、看護師は「一瞬で準備ができるというのは、圧倒的に機械が速い、確実。」と述べ、実際に器材を取りそろえる作業を行っている。派遣社員の女性は、「私一人じゃ、絶対に心もとなくて、(システムは)本当に先生という感じです。私がうっかりしていると、『違うやないか』とことばでは言わないが、表示で教えてくれる。」と述べて、システムへの信頼を口にしている。また、システムを導入した病院の医師は、「経験の無い方でも、やっていただけるようなシステムを作ることで、プロフェッショナルの方の仕事が少し楽になる。」と述べている。
*1: http://www.murata-system.co.jp/products/yubi_kitasu_m.html
*2: 2013年11月26日(火)放送
新しいヒエラルヒーの出現
「手術支援システム」は、人工知能とはいえないレベルのITシステムだが、それでも、将来訪れる職場のヒエラルヒーを示していて興味深い。そのヒエラルヒーとは、「手術を決断する医師・器材等を選択する看護師」と「器材等を取りそろえる派遣社員」の間に「器材等の取りそろえを指示・監督するITシステム」が挟まったピラミッド構造である(下図)。将来、このシステムを人工知能が担うときには、「器材等の選択」も、看護師の手から離れることになろう。つまり、「手術準備」の場面においては、看護師の仕事が人工知能システムに代替され、その職場で働く人間は「決断する人間」と「単純肉体労働を行う人間」の二種類に分かれることになる。さらにいいかえれば、人工知能が中間管理職の立場に就き、SF映画でロボットが担う肉体労働を人間が行うことになる。
このようなシステムは、社会のあらゆる分野に広がっていくことになるだろう。たとえば、自動運転の無人タクシーが実用化するのはまだ先であり、人間の運転手が職を奪われる日は遠いが、配車を指示する部署は、近い将来人工知能に代替されることになる。同様に、経理や入出庫管理、労働者の勤怠管理といった、比較的単純な知的労働も、人工知能に代替されることになるだろう。過日、大手銀行が相次いで大規模リストラ計画を公表したが、これも、数字を扱う仕事の多くが人工知能に代替されることを見越してのことといえる。
人工知能に指示する者、される者
このような職場におけるヒエラルヒーの変化は、直ちに人間に不幸をもたらすものではない。現に、NHKの取材に対しては、医師・看護師・派遣社員が三者三様にこのシステムを歓迎している。しかし、派遣社員のHMDに表示される指示は、数字と記号で代替されうることには注意が必要と思われる。すなわち、当地の言語を理解できない外国人も、地元の人間と同レベルの仕事を行えるということだ。その意味するところは、単純肉体労働を行う人間の報酬は、移民と同レベルに低廉化する、ということである。より一般化していえば、将来の職場は、中間管理職が担う比較的単純な知的労働が人工知能に代替され、人間は、判断し人工知能に指示する者と、人工知能の指示を受けて労働する者とに二極分化し、その経済格差は広がっていくだろう、ということになる。SF映画でロボットが奴隷として担うと予想された仕事は人間が行い、人工知能が人間を監督し指示を行う。
筆者は、このヒエラルヒーを「洗練された奴隷制(Sophisticated Slavery)」と呼んでいる。
「私は判断者になるから、人工知能の指示は受けない」と思う学生は多いだろうが、そう簡単に楽観はできない。発達した人工知能は、ヒエラルヒーの「下」すなわち単純肉体労働の方向にではなく、「上」すなわち知的労働の領域を侵食していくからだ。株価や為替、企業業績、渋滞や気象といった、ビックデータの分析に基づく統計的な予測は人工知能の得意分野であり、早晩、人間の予測能力を凌駕することになる。
簡単な思考実験をしてみよう。あなたは銀行の課長で、ある会社に投資をするか否かの判断を迫られているとする。6割の的中確率をもつ人工知能の出した結論は「投資しない」だが、あなたは自分の経験上、投資した方が銀行の利益になると考えている。ではあなたは、この会社に投資すると判断すべきか、投資しないと判断すべきか。
大多数の答えは「投資しない」だろう。統計的には「投資しない」方が正しい確率は6割だし、もし間違っても、人工知能の責任であってあなたの責任ではない。他方、「投資する」の判断が正しい確率は4割だし、間違った場合には、あなた自身が責任を問われるからだ。このように、統計的予測が必要な分野における判断権は、事実上、人工知能が担っていくことになる。
「指示を受けない」という選択はあるか
「洗練された奴隷制」社会において、あえて「奴隷」の立場を選ぶことは、必ずしも間違った選択ではないかもしれない。人工知能の指示に100%従う労働は、一切の判断や迷いを必要とせず、職業上のストレスの少ない労働ともいえる。人工知能の「上司」はセクハラ・パワハラとは無縁だし、法令遵守をプログラムされている限り、違法な残業を指示することは決してない。
しかし、人工知能から指示されることをよしとせず、報酬の高い仕事をし続けたいと考えるなら、どうすべきだろうか。おそらく回答は、「人工知能の不得意な知的労働」または、「人工知能の指示になじまない複雑な肉体労働」を指向することであろう。すなわち、企業経営者や専門職、外科医や芸術家のような高度な技術を身につけることこそが、来たる社会において、ヒエラルヒーの頂点に立つことにつながるだろう。