「日本の宇宙開発 — 未来を見通すためのパースペクティブを過去から得る」

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松浦 晋也

松浦 晋也

1962年東京都出身.慶應義塾大学理工学部卒、同大メディア・政策研究科修了。日経BP社にて機械技術、航空宇宙、パソコン、通信・放送などの専門媒体記者として取材経験を積み、2000年に独立。近著に『母さん、ごめん。-50代独身男の介護奮闘記-』(日経BP社)がある。その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数。

1.はじめに

 

第二次世界大戦以前から、日本でも軍用噴進弾としてロケット推進の研究は行われていた。が、具体的に宇宙空間を目指した研究開発は、1955年4月の東京大学・生産技術研究所の糸川英夫教授によるペンシルロケットの発射実験から始まる。また、宇宙空間を社会活動の中で活用する宇宙利用は、1963年11月23日に特殊法人・国際電信電話(KDD)が米国の通信衛星「リレー1号」を使った初の日米間衛星通信実験が嚆矢と言えよう。

2020年で、ペンシルロケットから65年、リレー1号から57年が過ぎた。直径1.8cm、全長23cmのペンシルロケットは、同5.2m、63mのH3ロケットになった。宇宙利用は通信・放送・気象から始まって、測位、地球観測へと広がった。1990年12月に東京放送(TBS)が旧ソ連の宇宙ステーション「ミール」に秋山豊寛記者を送り込んで以来、日本は有人宇宙活動にも参入した。日本政府は国際宇宙ステーション計画に参加し、1992年9月にスペースシャトルに搭乗した毛利衛飛行士以降、11人の宇宙飛行士を地球周回軌道に送り込んだ。

ペンシル以降の65年間に、政府の体制には3回の変革があった。1回目は1968年8月の、総理府・宇宙開発委員会の設立である。それまで各省庁が別個に行ってきた宇宙関連の研究開発や利用が、内閣総理大臣が直接統括する施策になった。

この体制は、2001年の中央官庁統合により、宇宙開発委員会が文部省と科学技術庁を統合した文部科学省の管轄になったことで崩れた。その後8年間、日本の宇宙行政は中核を失い、各官庁がそれぞれの裁量で行う行政分野となった。

3番目の変革は、2008年の宇宙基本法が成立・施行から始まった。内閣総理大臣を長とし、内閣メンバーを構成員とする宇宙開発戦略本部が立ち上がり、宇宙分野は再度内閣の重要施策分野として復活した。2012年7月には宇宙戦略本部の下にかつての宇宙開発委員会に相当する宇宙戦略委員会と、行政側で実務を担当する宇宙戦略室が設置され、内閣府を中心とした体制がスタートした。

日本の宇宙開発の未来を考えるためには、この3つの変革で区分される4つの時期の特徴を押さえておく必要がある。その上で、世界全体の流れを観ていくと、日本の宇宙開発が次になにをしていくべきかが見えてくる。

 

2.3つの変革、4つの時代

 

4つの時期はおおよそ以下のような表にまとめることができる。

表:日本の宇宙開発における4つの時期
時期 名称 目的 監督官庁
第1期(1955〜1969) 草創期 大学レベルでの研究(東京大学) 文部省
第2期(1969〜2001) 追いつけ追い越せの時代 欧米に追いつくための研究開発 総理府(実態として科学技術庁)
第3期(2001〜2008) 目的喪失の時代 政策目標を失った惰性と混乱の研究開発 文部科学省
第4期(2008〜現在) 実利用・安全保障の時代 政策の道具としての宇宙実利用 内閣府(実態として経済産業省)

 

第1期は、東京大学のロケット研究を中心とした時代だ。学者の自発的研究が主体であり、政策目標は希薄である。1960年代に入って科学技術庁が政策レベルでの研究開発を開始する。その結果文部省と科技庁が宇宙開発の主導権を巡って激しい縄張り争いを繰り広げることになった。

第2期は、総理府・宇宙開発委員会の設置と特殊法人の宇宙開発事業団(NASDA)設立(1969年10月)により、「通信・放送・気象衛星及びそれらを静止軌道に打ちあげるロケットの国産化」という政策目標が明確になり、米国からの技術導入で目標を達成しようとした時代である。他方で、文部省の学者レベルでの宇宙研究もそのまま継続し、事実上の二頭立て馬車の体制となった。

この第2期は1989年までとそれ以降とに区分される。1989年までの第2期前期は、日本メーカーに官需を担わせるという護送船団方式で一直線に技術開発を進め、順調に目標をひとつひとつ達成してきた。その結果1980年代後半には、純国産のロケット「H-II」の開発に着手し、同時に国産の大型衛星バス(衛星の基本となる構造体。衛星バスに通信機器や放送機器などのミッション機器を搭載して、目的の衛星を作り上げる)の基本となる「技術試験衛星VI型」(打ち上げ後は「きく6号」と命名された)の開発に入ることができた。これらが完成した暁には国際的なロケットと衛星の販売を通じて、日本の宇宙産業を官需一辺倒から国際市場で十分なシェアを持つ基幹産業へと離陸させるという未来も見えてきた。他方で、東大から文部省・宇宙科学研究所へと発展したアカデミックな宇宙科学研究も、ハレー彗星探査や、X線天文衛星による超新星観測などで、世界的成果を上げるまでになった。加えて、1984年のロンドン・サミットを契機に、米国主導の大型国際協力計画の有人宇宙ステーション(紆余曲折の末、最終的に「国際宇宙ステーション」(ISS) という名称になった)にも参加することとなった。これは国際政治における政策遂行の道具として宇宙開発を利用した嚆矢と言えよう。

ところが、1989年に米国が1988年包括通商競争力法スーパー301条に基づき、護送船団方式の衛星開発体制を貿易障壁に指定して改善を迫ってきた。日米交渉の結果、日本は国の調達する実用衛星は国際調達とすることを受け入れる(当時の日本政府は米国市場を席巻していた自動車と家電に、米国が報復関税を掛けることを恐れた)。結果、「純国産化と海外市場進出」は、直前に国際的政治闘争に日本政府が妥協したことで頓挫してしまった。

 

スーパー301以降の第2期後期は、目標を持って邁進していた日本宇宙開発が迷走に陥るプロセスそのものである。勢いがあるので、すぐには影響は現れない。H-IIは1994年2月に初号機打ち上げに成功した。

が、このあたりから、「なんとしても欧米に追いつく」という意志の元、重ねてきた技術開発ロードマップ上の無理が事故の続発となって現れてくる。H-II2号機で打ち上げた「きく6号」はアポジエンジンのトラブルで予定していた静止軌道に到達できなかった。H-II4号機打ち上げの大型地球観測衛星「みどり」は打ち上げ後11ヶ月で太陽電池パドルが破損して機能を喪失した。5号機で打ち上げた通信技術試験衛星「かけはし」はロケット第2段エンジン破損で、これまた静止軌道に到達できなかった。そして、1999年11月には運輸多目的衛星(気象衛星「ひまわり5号」の後継機)を搭載したH-II8号機が、第1段エンジン「LE-7」の破損で打ち上げに失敗してしまった。2000年2月には、M-Vロケット4号機が打ち上げに失敗と、事故は続いた。

護送船団に守られて技術を蓄積してきた衛星メーカーも、それまで確実に得られた通信・放送・気象衛星の官需を、公開調達によって技術面で優位の米国メーカーに持って行かれ、調子がだんだんおかしくなる。科技庁主体の行政は、海外メーカーが入ってこない研究開発衛星のワークシェアを各メーカーに均等配分して苦境を切り抜けようとした。が、それが「技術を持つ最適なメーカーに仕事を回せない」ということになり、さらなる事故を呼び込むことになった。

ただし、この第2期後期に、政治によって大きな変化の種が蒔かれた。1998年9月の情報収集衛星(IGS)計画のスタートだ。これは同年8月31日に北朝鮮が発射した衛星打ち上げロケット(とはいえ、実態は大陸間弾道ミサイルのプロトタイプであった)「テポドン1号」が津軽海峡上空を通過したことに、日本政府が強く反応した結果だった。が、これにより日本は安全保障分野での宇宙技術開発と利用に踏み出すことになった。

2001年以降の第3期は第2期後期から引き続く惰性と混乱の時代である。中央官庁統合で宇宙開発委員会が文科省の所管となってしまったので、政策としての宇宙開発も宇宙利用もないに等しい。文部省と科学技術庁が統合したので、下部機関も統合して行政改革の実を上げないわけにはいかない、という理由で、2003年10月に宇宙開発事業団、宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所は統合され、独立行政法人の宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発足した。従前の研究開発体制は維持されるが、では得られた成果をどのようにして生かしていくかという道筋は見えてこない。

JAXA発足を彩ったのはまたしても事故であった。2003年10月には、地球観測衛星「みどり2」が打ち上げ後10ヶ月で電源故障のため機能喪失。2003年11月に、情報収集衛星2機を搭載したH-IIA6号機が、固体ロケットブースターのトラブルで打ち上げに失敗。

H-IIA6号機の事故が宇宙開発の現場の底となった。その後の徹底した対策により、日本の宇宙開発は1994年以降の事故の連続を断ち切ることができた。同時に政治の側も宇宙開発体制の再構築の必要性を認識し、2008年の宇宙基本法制定と内閣府を中心とした宇宙開発体制への移行に繋がっていく。

ただし、宇宙基本法制定から内閣府・宇宙戦略室及び宇宙政策委員会発足までに4年かかった。体制再構築が官庁間の権限争いとなったからである。守るは文部科学省で、政治は攻め手として経済産業省を利用した。経産省は、1970年代以降、宇宙分野に権限を広げようとしては攻めあぐね、また攻めては立ち止まりを繰り返してきた。が、今回は政治のバックアップがある。経産省から内閣府に出向した官僚達は文科省と渡り合って、現在の宇宙政策委員会を中心とした体制を構築した。宇宙開発委員会は、宇宙政策委員会発足と同時に廃止。しかし文科省は代わって文科省関連宇宙行政のみを審議する宇宙開発利用部会を設置した。

こうして始まった第4期は、第1期の研究、第2期第3期の研究開発に代わって、宇宙利用を前面に押し出した。「技術開発は目的ではない。政策実現のための手段だ」というわけである。では、何のための手段か。産業活性化のための手段であり、外交のための手段であり(国際宇宙ステーションのような大型国際協力)、安全保障のための手段だ。

そのために宇宙戦略室は「宇宙開発」に代わる用語として「宇宙開発利用」という言葉すら造りだし、積極的に使用している。技術を社会に適用するのに不可欠な立法にも積極的で、2017年11月には「衛星リモートセンシング記録の適正な取扱いの確保に関する法律(通称:衛星リモセン法)」が、2018年11月には「人工衛星等の打上げ及び人工衛星の管理に関する法律(通称:宇宙活動法)」が、それぞれ施行に漕ぎ着けた。いずれも今後の民間の宇宙活動の展開に必要不可欠な法律である。

 

3.過去を振り返り、抽出する4つの課題

 

 

日本の宇宙開発の未来を考えるにあたっては、まずここまで述べてきた4つの時期に対する分析と反省が必須だろう。特に第2期後期から第3期に至る事故と組織改編に彩られた16年間については徹底した事実関係の解明と分析が必要と考える。これは本来、JAXAが専門の歴史学者を雇用して実施すべき事業であろう。本稿ではすべてを書ききることはできないので、大きな問題点のみを列記する。

 

1)日本政府のどの部署の誰が、どのような思考と手続きを経て1989年の対米通商交渉において政府調達衛星の市場開放を決断したのか。意志決定に至る具体的プロセスの解明。

2)2001年の中央官庁統合において総理府・宇宙開発委員会が、なぜ総理府を改組した内閣府ではなく文部科学省の委員会となったのか。その意志決定プロセスの具体的解明。

3)その前段階として、事前には科学技術庁の省への昇格も取り沙汰されていたのに、なぜ文部省と科技庁が統合となったのか。その意志決定プロセスの具体的解明。

4)2001年の中央官庁統合に伴う宇宙三機関統合を決定するまでの意志決定プロセスの具体的解明。

 

これら4点はとどのつまり「日本という国がどこまで宇宙開発という事業にプライオリティを与え、本気で推進していく意志を持っているか」を示す指標である。「国はどこまで本気か。宇宙開発にいかほどのプライオリティを与えているか。今後とも与える意志があるか」を、具体的事実で示していかないと、日本の宇宙開発の未来を描くことはできない。

その上で、今現在進行中の第4期についての評価・分析が必須であろう。特に、宇宙基本法施行から宇宙戦略室及び宇宙政策委員会の発足までに4年もの時間を要した — このプロセスの解明は必須である。1960年代に文部省と科技庁が主導権を巡って暗闘したのと同じ事を50年後に経済産業省と文部科学省が繰り返したのだ。きちんと何が起きたかを文書化しておかないと、将来また同じ事をやらかす可能性は大である。

 

4.今現在進行中の第4期の問題点

 

2008年に第4期が始まって、すでに12年が過ぎた。いつ何時、次の大イベントが発生し、第5期が始まるかも分からない。従って、現在進行形である第4期の分析はリアルタイムで実施していく必要がある。

第4期の特徴は、「政策の道具としての宇宙開発」だ。そこには、第2期から第3期にかけて科技庁が展開した「宇宙の技術開発」が「技術開発のための技術開発と自己目的化している」という政治の側の危機感があった。

が、1989年のスーパー301まで、科技庁の技術開発は「技術を国産化して国際市場に産業を押し出す」という単純明快な目標で動いていたのである。「家電、自動車の次は宇宙」だったのだ。スーパー301の対米通商交渉で国内産業育成の手段である官需衛星を国際調達することに合意したのは、他ならぬ日本の政治であった。その結果、科技庁の宇宙開発は「ここまで育てた宇宙産業を食わせねばならぬ」と、合意の及ばぬ研究開発衛星へと傾斜し、自己目的化した。

引き金を引いた政治が、その結果を「お前らが悪い」と論難した — 第4期の宇宙基本法成立に始まる体制の根底には、そのような政治の身勝手さが見え隠れする。その政治意志を体現したのが、産業育成を任務とする経済産業省だという事実も居心地の悪さを倍加する。「スーパー301に始まる産業の危難の時に、前身たる通商産業省は何をやっていたのか」ということだ。

第4期は、一見して第2期後期から第3期にかけての停滞からの回復に見える。が、実際には、停滞の原因を作ったのは外的要因というよりも、政府の政策的判断ミスと不作為と言えるだろう。

 

では、その回復の方向は正しいのか。

もうひとつ、第4期の特徴として、安全保障用途への傾斜がある。2020年に公開された今後10年間の宇宙政策を定めた「宇宙基本計画」は、具体的なロードマップを定めた「宇宙基本計画工程表」冒頭に「宇宙安全保障の確保」を持ってきた。

日本の宇宙開発はペンシルロケット以降、軍事転用への警戒感に晒されてきた。1969年のNASDA設立時には国会で「我が国における宇宙の開発及び利用に係る諸活動は、平和の目的に限り、かつ、自主、民主、公開、国際協力の原則の下にこれを行うこと」とする宇宙平和利用決議がなされた。その後、技術の進歩に伴って民生利用が一般化した衛星通信などが自衛隊でも利用可能となった。

1998年の情報収集衛星(IGS)開発は、「平和利用」を「大量破壊兵器を宇宙に持ち込まない」「宇宙で兵器の実験や軍事演習を行わない」と解釈し、平和利用決議に抵触しないとして始まった。同時に政府はIGSは災害監視などの広義の安全保障に資するという説明を行った。

しかし計画開始から22年を経て起きているのは、日本が軌道上で保有・運用する「実際問題として狭義の安全保障にしか使えない軌道上インフラ」の増大である。IGSはこの22年で投資額は一兆円を超えた。2020年9月現在、軌道上では光学衛星3機、レーダー衛星5機が運用されており、後継衛星も継続的に開発されている。2025年度からは特定地域の観測頻度を上げる「時間軸多様化衛星」という別シリーズの打ち上げ・運用も始まる。2020年度からはこれらの衛星の取得する画像データを中継する専用のデータ中継衛星の打ち上げも始まる。

これだけのシステムがフル稼働した場合、膨大な量のデータが取得・蓄積されるが、そのほぼ全部は2014年12月に施行された「特定秘密の保護に関する法律(通称:機密保護法)」による機密指定を受けて、秘匿されている。災害監視用途としては、衛星を運用する内閣官房・衛星情報センターが、台風や地震などの大規模災害時に数枚の処理済み画像を公開する程度である。

この他にも防衛省関連では専用のXバンド通信衛星、さらには有事にすぐに打ち上げ可能な即応型小型衛星の開発、ミサイル発射を検知する早期警戒衛星システムの研究、洋上の艦船監視のための海洋状況把握の研究などが宇宙基本計画に入っており、防衛関連宇宙インフラは、今後とも増加していく見通しとなっている。

 

5.安全保障への傾斜をどう評価すべきか

 

第4期を彩る安全保障、それも狭義の防衛関連の安全保障への傾斜が正しい政策か否かは、後世の判断を待たねばならない。

しかしその一方で、「持てるインフラの能力を十全に使っていない」ということは、はっきりと指摘することができる。

一例としてIGSに関しては、まずシステムとしては冷戦時代に確立した偵察衛星というよりも地球観測衛星コンステレーションであるということを意識する必要がある。これは、1998年の開始当時に日本が保有していた地球観測衛星技術を利用したためである。偵察衛星が望遠レンズ付きカメラだとするなら、地球観測衛星はスキャナだ。偵察衛星は望遠レンズで遠くの被写体を撮影するように特定地域を高分解能で撮影する。対して地球観測衛星は、地球全体をなめるように連続的に観測する。

計画開始から22年を経て、世界的にIGSクラスの地球観測衛星コンステレーションは珍しくなくなっている。その多くは軍民両用であり、民間のデータ利用を認めている。

それだけではなく、2010年代に入ってからの人工知能(AI)技術の急速な進歩によって、民生分野では大きなパラダイムシフトが起きている。それまでの地球観測は、宇宙という特権的位置から撮影した他の方法では得られない画像そのものに価値があった。が、AIの進歩により民生用地球観測データ市場は、観測データそのものではなく、多数の衛星が取得し続ける膨大なビッグデータをAIで分析し、抽出した有用な情報にこそ価値がある、という方向に進んでいる。衛星インフラもそれに対応し、小さな衛星を多数打ち上げてコンステレーションを構成し、より大量のデータを撮影してどんどんAIに食わせて有用情報を引き出すようになってきている。

こうなってくると、狭義の安全保障用途に向けて独自衛星システムを保有し、運用していることは、広義の安全保障上の決定的アドバンテージではなくなる。より大量の情報を様々な衛星で取得し、適切に訓練したAIで短時間で処理して新鮮な有用情報を引き出すことが衛星インフラの有用性を決めることになる。

AIに限らず情報分野の技術革新は、いかに多数の研究者・研究グループが、大量の情報にアクセスし研究に利用できるかにかかってくる。しかし、機密保護法の指定を受けたIGS取得データは、ほとんどの研究者・研究グループがアクセスすることができない。死蔵されたデータは存在しないのと同じである。

 

6.情報セントリックの第5期に向けて

 

最後に、私見として、現在の第4期から次なる第5期への移行の中で起きるであろうパラダイムシフトを予想しておこう。

第5期の日本の宇宙開発にとって、なによりも必要なのは「情報」を物事の中央に据えることであろう。それは安全保障を含む政策遂行の道具としても、新規の技術開発としても、そして本稿ではあまり詳しく触れることができなかった、しかし重要で根源的な分野である宇宙科学でも、等しく必要なこととなる。

例えば安全保障分野では、単に防衛用途だけではなく、2020年の世界史的トピックとなったパンデミックや、温暖化が進む地球環境監視やさらにその先に考慮すべき地球環境制御まで考えて、等しく国民の安寧を維持する国家安全保障として考える必要がある。それに対して、宇宙分野が道具としてどのように役立つかを考えると「有用な情報の取得と公開を通じて」というのがもっとも有力な道筋である。

情報を力として行使する方法は2つある。ひとつは情報を秘匿して、「自分は知っているが相手は知らない」という状態を作り出すこと、もう一つは情報を広く公開して「誰もがこのことを知っている」ようにして状況を変化させることだ。インターネット以前は、公開のコストが秘匿のコストを上回ったために、秘匿は重要な情報戦略であった。が、ネットの発達により今や一部では公開コストのほうが秘匿よりも安くなっている。

ネットはフェイクが横行し、真偽定かならぬ情報が飛び交う空間だ。しかし国家には信用というものがある。信用できる情報を公開していくことにより、さらなる信用を作り上げていくことができる。

日本の宇宙開発の次なる第5期に向けての課題は、情報の扱いであろうと私は考える。しかも秘匿ではなく、公開によって国内外からの信用を作り上げていくということが重要だろう。その意味では1969年の平和利用決議の精神は、今も生きている。「自主、民主、公開、国際協力の原則」とある中の、「公開」を再定義して、生かしていく必要がある。

 

 

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1962年東京都出身.慶應義塾大学理工学部卒、同大メディア・政策研究科修了。日経BP社にて機械技術、航空宇宙、パソコン、通信・放送などの専門媒体記者として取材経験を積み、2000年に独立。近著に『母さん、ごめん。-50代独身男の介護奮闘記-』(日経BP社)がある。その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数。