プロセスの観点の導入による倫理的創造の促進―KIMONO projectを事例に

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大井 奈美

大井 奈美

早稲田大学第一文学部卒業。東京大学大学院学際情報学府修士課程を経て、同博士課程修了。博士(学際情報学)。専門は、社会情報学、情報文化論。主な著書として『基礎情報学のヴァイアビリティ』(共編著、東京大学出版会、2014)、『基礎情報学のフロンティア』(共著、東京大学出版会、2018)など、近著として「宗教改革をささえた『ハード』と『ソフト』—アナログとデジタルの架橋」(『山梨英和大学紀要』山梨英和大学、16、pp. 104-114、2018)、「意味の回復による喪失体験の価値の反転—心的システムの発達モデル」(『社会情報学』社会情報学会、8(1)、pp. 49-64、2019)などがある。

1.「デジタル思考」の陥穽

 

現代の情報社会では、デジタル化された情報をもとにしたコミュニケーションが多くみられる。

たとえば、現在コロナウィルス感染症の拡大によってテレワークが注目を集めているが、ビデオ会議を支えるマルチメディア技術は、音声・文字・画像などの様々な情報が一括してデジタル化されていることで可能になっている。デジタルな情報やそれを処理するデジタル・メディアはとても便利で、テレワークをはじめとするこれからの新しい生活様式を支えてくれることは間違いない。

だからこそ、デジタル化が私たちにもたらしうる影響について、リスクやマイナスの面も含めて、これまで以上によく考える必要がある。たとえば、デジタル・メディアのコミュニケーション・ツールとしての重要性が高まるにつれて、デジタル・メディアの使用法に不慣れな人たちが必要な情報にアクセスできずに不利益を被る可能性も高まってしまう。つまり、情報格差のもたらす悪影響が強まってしまうことも考えられる。

情報のデジタル化は、私たちの思考様式にも影響を及ぼしているかもしれない。

すなわち、あらゆるタイプのデータを「0か1か」という電気信号に還元して処理するデジタル・メディアの席巻に影響を受けて、私たちも、物事を「白か黒か」のように二項対立的に理解する傾向が強まってしまうとしたら、どうだろうか。これを仮に、「デジタル思考」と呼んでみたい。デジタル思考は、複雑な物事に対処するために有効なことも多いため、日常的に利用されている。人々がそれぞれに抱える多様な問題を一様にして理解すれば、問題対処の効率も上がるし、誤解を恐れずに言えば、社会が人々を管理しやすくなるとも考えられる。

ただし、デジタル思考が極端になれば、複雑なものを複雑なままで理解するのを妨げてしまうリスクも否めない。過度な一般化によって見えなくなってしまう問題や差異などもあるだろう。「こうあるべき」という風に社会から押し付けられた普遍化への圧力(数値目標で示されることも多い)を内面化してしまえば、せっかくの個性を活かすのが難しくなってしまうことも考えられる。

その結果、他者についても、たとえば「敵か味方か」というような観点からしか関心を持てなくなったり、無関心に陥ったりする恐れがある。

 

2.「アナログ思考」の創造性

 

多様性と創造性のある平和でいきいきとした社会を実現していくためには、デジタル思考だけでなく、0と1との間にある限りない差異に目をとめられるような観点も望まれる。それを仮に「アナログ思考」と呼んでみたい(なお、技術的に言えばコード化や標本化によってデジタルとアナログとは相互に変換可能である)。

アナログなデータは連続性を特徴としている。たとえば、ほとんどのデジタル時計の表示は秒と秒との間がとびとびになっているのに対して、アナログ時計の表示は針の動きが連続しているように見える。デジタル時計が限られた数の記号の組み合わせで時刻を把握する一方で、アナログ時計は針の動きの比喩によって時刻を把握するとも言える。つまりアナログ思考は、「〇〇に似ている」「〇〇と言えば△△が連想される」という観点から物事を把握していく特徴がある。そのため、連想による思考はアナログ思考の典型と言える。一連の連想は、イメージの飛躍もまじえて拡張していくので、創造性の源にもなると考えられる。

連想による思考について、哲学者のC. S. パースによる「記号過程」に即して考察してみたい。たとえば「白熊」について考えてみると、白熊にたいして次々に生じる複数のイメージの総体として、白熊の意味が定まっていく(図1)1

 


図1.白熊に対する記号過程

 

ここで、どう連想していくのかというプロセスにその人の個性が表れるように思われる。

ある物事に対して何を連想するかには、その人の体験、つまり生きてきた固有の歴史が関係するからである。それに比較して、デジタル思考の二項対立には、固有のプロセス(時間性)が反映されにくいと言えるかもしれない。なぜなら、たとえば「敵か味方か」を判断する時には相手とのそれまでの関係がもちろん影響するにせよ、「敵か味方か」「白か黒か」のような判断軸そのものは、社会や言語など、自分の「外」から与えられた既存の枠組である場合が多いと考えられるからである。

どう生きてきたかとどう考えるかとが相即していて、連続的に思考が生み出されていくという研究観点は、「オートポイエーシス(自己創出)2」とも呼ばれている 。オートポイエーシス概念によれば、思考は常に生成変化していて、思考を生み出す内的基準もその生成変化に影響を受けて構成される。過去の体験にもとづく連想の仕方の癖が、一種の習慣のようになって、その人の価値観になっていく。生きてきた歴史と現在の思考とが、常にフィードバック関係にあると言える。その意味で、思考という創造プロセスは生きられた時間そのものでもあり、私たちが経験する時間は必ずしも一方向的に流れるだけでなく、私たちのなかに折りたたまれていて、想起されるのを待ちながら潜在化していると考えられる。それが、個人のかけがえのなさや複雑性、さらには創造性の源泉と言える。

実際に、『AI×クリエイティビティ』(2019)のように、唯一性が創造性を支えているという観点からAI時代の創造性について考えようとする試みも始まっている。

 


図2.オートポイエティック・システムの唯一性

 

『AI×クリエイティビティ』から引用した図2では、オートポイエーシスの性質を持つ私たちの心のようなシステムは、他者や環境との相互作用で影響を受けつつも、固有の歴史にもとづく内的基準によって唯一無二のものであることが示されている3

 

3.プロセスとしての創造からみる「KIMONO project」

 

「不断のプロセスとしての創造」による作品の例として、現代の着物文化をとりあげてみたい。

東京オリンピック、パラリンピック開催に合わせて「KIMONO project」が2014年から行われてきた。全ての参加国をテーマに、総数213着の着物と帯を制作し、参加国をもてなそうとする取組である4

その目的は、着物の制作をつうじて「世界は一つになれる」という平和のメッセージを伝えることにあるといい、そのようにしてオリンピックとパラリンピックの理念である平和への寄与が目指されている5

着物に表される「和」の心を、字義通りに平和・調和・和解などの精神として理解してみることも不可能ではないかもしれない。以下では、KIMONO projectが包含する様々な質のプロセスを便宜的に3つ挙げて論じてみたい。

 

(1)創り手と相手国との関係プロセス

新聞やテレビなど既存のメディアだけでなく、情報メディアによる後押しも加わって、多様な人々や企業がプロジェクトに関係できるようになった。KIMONO projectは基本的に、ウェブサイトをつうじた寄付を原資に一つの国または地域ごとにプロジェクトが発足して遂行されてきたのである。そこには、着物のテーマになる国と創り手とをつなぐ、様々な縁や歴史としてのプロセスが考慮されている。

たとえば、マリ共和国のプロジェクトには「まり」を名前に含む全国の人々が広く募集されたという。まさに連想による関係性の導入と言える。また、着物デザインに参加している学校も各地にあるが、なかでも、九州の久留米高校では、マレーシアからの留学生を受け入れてきたという縁を大事にして、生徒たちの発案でKIMONO projectに参加したという。着物制作に直接参加しない個人や企業などの団体でも、ゆかりや関心のある国のプロジェクトにたいして寄付することや、完成した作品をイベントで着用することなどをつうじて、間接的にプロジェクトに関わることができる。

このようにKIMONO projectは、情報メディアの活用によって可能になった、作家や職人だけに閉じていない現代的な創作システムの実現として評価できると考えられる。情報メディアによって、ある国と個々の参加者たちとの固有の関係としてのプロセスがはじめて可視化され、それが制作プロジェクトに導入されることによって、今までになく着物創造におけるアイディアの多様性が増したと考えられる点は特筆に値する。関係のプロセスは、着物と帯を合わせて一着ごとに200万円という十分な予算として形をとり、従来は予算に制約されがちだった着物文化の可能性を拡張する試みにもなった。

 

(2)日本および作品のテーマとなる国の文化や歴史のプロセス

着物作品には、日本の文化や歴史というプロセスはもちろん、テーマとなる国の文化や歴史というプロセスもおりこまれて表現される。

実際、久留米高校の生徒たちは、講師を招いて着物そのものやより広く日本文化について学ぶとともに、コンピュータや図書を活用した一年間の「調べ学習」の時間をつうじて、マレーシアの文化や歴史についても学びを深めた。そのうえで2017年度に完成された着物デザインをもとに、専門の職人たちによって着物と帯が制作された(図3・左)。

このように完成した着物が首脳サミットをはじめ様々なイベントで披露される際、モデルとして中高生が参加することもあり、それがさらに日本および外国の文化や歴史への学びを深めることにもつながるだろう。

「KIMONO project」のウェブサイトは、結果として、技術の粋を集めた200着以上もの見事な着物と帯のデジタル・アーカイブとなった(図3)。このデジタル・アーカイブは、日本および外国の文化や歴史のプロセスが実現した一つのあり方とも考えられ、今後の着物制作への刺激にもなりうる貴重な記録と言える。

 

図3.マレーシアの着物(左)・北マケドニア共和区の着物と帯(右)

 

(3)着物文化の特性としてのプロセス

着物文化の特質として、必ずしも作品が完成したら創造が完了とは言えない点が挙げられるように思われる。

つまり物質的な着物自体もさることながら、それが実際にどう着られるかという実現様態にも同等以上の重点が置かれる点で、「着物文化の本質は着物が着られるたびに新たな創造が実現されるような創造プロセスにある」というのが実態に即した考えかもしれない6

実際に、着物や帯は着られている時に現れる柄をイメージしてデザインされるという。たとえば、袖の模様と正面となる前身頃の模様との連続性や調和も考慮される(図4・右)。

 

 図4.ナイジェリアの着物の静態と動態

 

その意味では動態を内包した静態としてのデザインと言ってもよいだろう。

また、衣桁(いこう)に静かに飾られている時と着られて動いている時とで、着物の柄の現れ方は全く異なる(図4)。その一因は、衣桁に掛けられている着物は背中側の柄が正面に来るが、着用時は、正面になる柄が変わることである。しかし主な理由は、直線的で平面的な着物や帯は、着られて動きが加わることで、曲線的で立体的になることにあると考えられる。

同様に、帯結びの形も自由自在にアレンジ可能である。加えて、一つの帯のなかにも様々な模様があり、どの部分の模様を目立たせるかを結ぶたびに変えて楽しめる。さらには、一つの着物にどの帯や小物(半襟・伊達襟、帯揚げ、帯締め、長襦袢など)を合わせるかによって、色合わせの調和などの点で全体的な印象が全く変わる。

このように着物は、その実現様態として無数の選択肢がある点で常に変化に開かれており、その変化のプロセスが着物文化の本質の一部となって、創造性を拡張していると考えられる。同じ着物でも、華やかな美しさや粋で渋い美しさなど、多様な種類の美を実現できるからである。

 

(1)〜(3)で論じてきたように、KIMONO projectには様々なレベルでの無数で固有の「プロセス」が包含されており、それらのプロセスの複雑性が現代の着物文化全体の多様性を支えてくれていると考えられる。

もちろん、現代では国際交流の際に晴着として民族衣装を着て他者をもてなす役割が女性に固定されやすいというジェンダー役割の問題やナショナリズムの問題など、KIMONO projectをめぐる検討課題が指摘される余地はあるかもしれない。そもそもオリンピック・パラリンピックが必ずしも平和の祭典という理念を十分に実現できているわけではないという批判もありえるだろう。

そうした批判はある意味ではもっともであると言える場合もあると思われる。しかし本稿ではそうした批判をふまえつつも、KIMONO projectが、「日本文化か外国文化か」という既存の二項対立ではなく、互いに相手との関わりのなかで自己の文化を新たに構成していくような創造的コミュニケーション・プロセスの表れとして、多様性のある国際社会の一つの象徴となりえていると考えている。

 

4.創造と倫理の相関関係

 

以上では、生きることと創ること(考えることも含まれる)とを相即関係にあるものと捉える「アナログ思考」について、KIMONO projectを事例にして具体的に論じてきた。アナログ思考について敷衍すれば、創造が倫理と深く関わっているとも言えるかもしれない。

創造と倫理とを不可分に関係するものとみなして、いかに生きるかと何を創るかを一体のものと捉える考え方は、情報倫理学の基礎理論の一つとしても近年注目されてきた7。それは、何かを創造することは私たちの生きがいの源の一つになって、私たちを健やかな人生に導いてくれるという、精神科医V. E. フランクルの「創造価値」という思想である。

誰もが情報発信できる「ウェブ2.0」への移行が始まった2000年代以降、たとえばSNSにおけるフェイク・ニュースや誹謗中傷などが社会問題になるなかで、情報発信のモラルが問われるようになった。何かを創造して発信・表現する際のモラルを問うことは、とりもなおさず生き方をめぐる倫理の課題でもある。このことから、情報倫理学において、倫理にもとづく創造(情報発信や芸術表現など)が重要なテーマとして注目されてきた。

倫理の観点から言えば、アナログ思考は、デジタル思考よりも物事の複雑性に気づきやすくさせてくれる観点と言えるので、自分と異なるものへの関心や、変化についての肯定的な捉え方につながりやすい面があると言ってもよいように思われる。連想や変化を基本的動因とする創造的なプロセスとして、アナログ思考を理解できるからである。逆に言えば、本稿は、フランクルの創造価値概念をプロセスという観点からより拡張するものとも言えるように思われる。

創造価値をプロセスとして捉え直し、ある対象のそのつどの実現様態に注目する考え方によれば、創造の典型例として位置づけられるのは、ある対象の「成長・成熟」と言えるかもしれない。なぜなら、実現様態に注目する観点を倫理的に解釈すれば、それは、互いの違いや変化を肯定的に受け止める観点であるとも考えられるからである。成長や成熟は、環境や他者との相互作用のなかで生じる。したがって、ある対象の最良の可能性を引き出し、その対象を活かすようなケアやサービスを、創造価値の本質にあるものとして位置づけてみたい。

そうすると、物質的な創造や行動そのものというよりむしろ、何らかの作品や行動を介して心のつながりや互いの成長を実現することの方が、創造価値の本質ということになる8。このように、自他の間で相互に関心を持ち、相互に引き立て合うようなケアやサービスのコミュニケーションを創造していくことが、情報社会や情報文化の課題の一つと言えると考えられる。

着物文化の事例で説明すると、たとえば、着用者が年齢を重ねるにつれて、着物の八掛(はっかけ)の色を変えることで、深みのある粋な着こなしができるようになる9。八掛は、袖口や裾の裏にある裾廻しと呼ばれる裏地で、手を動かしたり歩いたりする際に見えて着物の印象を大きく左右する(図5)。

 

図5.八掛の色の変化

 

図5の右図は、八掛の色に合わせて帯や帯締めの色もアレンジされている点に注意が必要である。このような、着用者の成熟や変化に合わせた着物のリメイクは、着用者と着物とが成熟プロセスのなかで相互に引き立て合っていることを具体的に示す、調和の創造の一例と言えるように思われる。

もちろん、状況によって変わらない判断枠組や理想の完成形などを基準とするデジタル思考も、生きるうえでの安定した倫理的指針を保持したり、合理的に考えたりするためには、必要不可欠のものと考えられる。アナログ思考はプロセスの観点を導入して複雑性を考慮に入れやすい点で、情報社会を基礎づけるデジタル思考と相互に補い合って、倫理にもとづく多様な創造を可能にしていくことが望ましい。たとえば、現代の多様なニーズや個性を反映して、洋服のように着用しやすい着物や、ジェンダーの枠を超えていくような新たな着物も創られている10

以上で論じてきたように、今目の前に見える物事の状態や二項対立に注目しがちなデジタル思考だけでなく、それらの成り立ちや他でもありうる可能性を考慮するアナログ思考についても再評価することで、多様性に寛容で相互にケアし合うようなコミュニケーションにもとづく倫理的な創造を情報社会において促進できるのではないだろうか。

 


【主要参考文献】

河島茂生・久保田裕『AI×クリエイティビティ』高陵社書店、2019年

「KIMONO project」の概要や軌跡の説明https://www.atpress.ne.jp/releases/127304/att_127304_2.pdf 2020. 6. 29閲覧)

「世界196カ国、1カ国ずつ着物で表現 五輪に向け制作」朝日新聞、2018. 4. 20
https://digital.asahi.com/articles/ASL4K31YKL4KTGPB005.html  2020. 6. 11閲覧)

竹之内禎・河島茂生編『情報倫理の挑戦——「生きる意味」へのアプローチ』学文社、2015年

V. E.フランクル『意味への意志』山田邦男訳、春秋社、2002年

H. R. マトゥラーナ・F. J. ヴァレラ『オートポイエーシス——生命システムとはなにか』河本英夫訳、国文社、1991年(原著1979年)


 

【文中注釈】

1 石田英敬『現代思想の教科書』筑摩書房、2010年、70頁を参考に筆者作成。白熊の画像は「愛媛県立とべ動物園」ウェブサイト掲載のものである(https://www.tobezoo.com/peace/)。なお、「白熊」は正しくはホッキョクグマだが、通称として白熊という単語を事例にした。

2 H. R. マトゥラーナ・F. J. ヴァレラ『オートポイエーシス——生命システムとはなにか』河本英夫訳、国文社、1991年(原著1979年)。

3 河島茂生・久保田裕『AI×クリエイティビティ』高陵社書店、2019年、33頁。図のキャプションは本稿の筆者によるものである。

4 異文化を着物に取り入れる試みは、呉服商を舞台にした川端康成の小説『古都』などでも取り上げられてきた。そこではパウル・クレーの画集をもとに帯の下絵を描く試みが表現されている。また、印象派絵画の色彩と京友禅とを融合させた「京都印象派」の友禅作家・橋本恵(けい)氏などの実践もある。

5 本プロジェクトの運営母体であるNPO法人「Imagine One World」の名称にも理念が表れている。

6 洋服デザイナー川久保玲は、「着ることなしにファッションは意味を持たない。この点が芸術と違うところである。人がいま買いたいと望むからファッションなのであり、いま、今日、身につけたいと思うからファッションなのだ」と述べた(The wall street journal誌における2011年の記事。原語は英語。https://www.wsj.com/articles/SB10001424053111903918104576500263503794504#ixzz1YkxrxKS8 2020. 1. 25閲覧)。ここでは、着る人が価値を感じることや、単なる鑑賞ではなく着用にこそ、ファッションの本質があると理解されている。この理解は、着物は着られることでその本質が現れるという本稿の議論にも通うものがあると考えられる。

7 つぎの書籍を参照。竹之内禎・河島茂生編『情報倫理の挑戦——「生きる意味」へのアプローチ』学文社、2015年。

8 この点で、創造価値は、フランクルの言う「体験価値(愛し愛される体験が典型例の一つ)」にも接近していくと考えられる。体験価値についてはつぎの書籍も参考になる。V. E. フランクル『ロゴセラピーのエッセンス——18の基本概念』赤坂桃子訳、新教出版社、2016年。

9「きものを着たい!」ウェブサイトより(https://kimono-kitai.info/2507.html 2020. 1. 15閲覧)。図5はこの記事に紹介されている写真から構成した。

10 着物デザイナー「キサブロー」氏、および「かんたん着物」の実践を参照(いずれも2020. 1. 18閲覧)。https://digital.asahi.com/articles/ASMDN6GGNMDNUCVL03C.html
https://digital.asahi.com/articles/ASN1L4CHLN1JTIPE002.html三点着物の実践も参考になる(2020.3.15閲覧)。https://digital.asahi.com/articles/ASN3G42BWN2WPQIP00X.html

 

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大井 奈美

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早稲田大学第一文学部卒業。東京大学大学院学際情報学府修士課程を経て、同博士課程修了。博士(学際情報学)。専門は、社会情報学、情報文化論。主な著書として『基礎情報学のヴァイアビリティ』(共編著、東京大学出版会、2014)、『基礎情報学のフロンティア』(共著、東京大学出版会、2018)など、近著として「宗教改革をささえた『ハード』と『ソフト』—アナログとデジタルの架橋」(『山梨英和大学紀要』山梨英和大学、16、pp. 104-114、2018)、「意味の回復による喪失体験の価値の反転—心的システムの発達モデル」(『社会情報学』社会情報学会、8(1)、pp. 49-64、2019)などがある。