「世界の裏側」との対話

平成も終わろうとする2018年7月6日、オウム真理教の元教祖、麻原彰晃(本名、松本智津夫)ら元幹部7人に対して死刑執行が行われました。1995年に東京の地下鉄で神経ガスが散布された地下鉄サリン事件に代表される一連の残忍な事件は、当時5歳だった私の心にも深く印象に残っています。

我々は、この事件を過去のものとして忘れ去るのではなく、第二、第三のオウム真理教が誕生しないよう社会全体として努力してゆく必要があります。ただし、当時と現代では大きく状況が異なります。その最たるものは、情報収集やコミュニケーションの手段です。一般の人々が多くの情報を発信出来るようになり、我々はより素早く、大量の情報を得ることが出来るようになりました。今や、世界の裏側と意見を交わすことも簡単です。では、意見交換や議論を行うことで、オウム真理教のような過激な思想の持ち主とも意見をすり合わせ、和解することが出来るのではないでしょうか。

残念なことに、このような理想的な環境が整った現代社会においても、未だに意見の相違による問題は絶えません。テロリストや過激派といった、社会に相容れない過激な意見を持つ集団は世界中に数多く存在します。議論を通して合意を形成することは、大変難しいと言わざるを得ない状況です。

ファンクラブの心理

なぜ、異なる意見を持つ人々同士は歩み寄ることができないのでしょうか。一つの説明として、ここではエコー・チェンバー現象を挙げることにします。

「エコー」とは、日本語で「残響」を意味します。お風呂場で歌を歌うと自分の声が反射してうまく聞こえますよね。「エコー・チェンバー」とは、お風呂場のような、「残響する空間」です。まず一人が意見を出す。すると、エコーのように同じ意見が次々に返ってくる。そして全体として空間が盛り上がっていく様を、比喩的に表現したものです。アイドルのファンクラブを想像して頂けるとわかりやすいでしょうか。誰かがそのアイドルを可愛いと言ったら、全員がそれに同意し、反対意見が現れることはありません。

このエコー・チェンバーが、社会の様々な場所で形成されるようになっています。皮肉にも、このインターネット時代に活発になった情報流通と意見交換が、この現象を引き起こしているのです。インターネットの隆盛により、我々の周囲には様々な情報が溢れ、それらに簡単にアクセスできるようになりました。重要なのは、多くの情報にアクセスできることと、多くの情報を得ることはイコールではないということです。情報の選択肢が多くなるため情報を選ぶことが可能になり、耳あたりの良い、自分の意見に沿った情報にだけアクセスするようになってしまうのです。なぜなら、そのほうが人々にとって心地よいからです。結果として、「エコー・チェンバー」の中では、ある特定の大きく偏った考えがその集団内で支配的になったり、偏った人と人との強固な繋がりが確立されてしまったりすることが知られています。

「真実」という錯覚

ソーシャルメディアもこの現象を後押しします。同じ考えを持つ人々でフォローし合い、その内部で意見交換を繰り返すことでその考えが強化されていきます。本来、多くの考え方に触れることで寛容になるはずの社会が、固定された幾つものチェンバーに分断されてしまうのです。そして、そのチェンバー同士が交流することはほとんどありません。別のチェンバーと意見や情報を交換することは不快であるからです。そのため、社会において大変重要な議論と意見交換が阻害されてしまうのです。

さらに、エコー・チェンバーは内部の人々に認知の歪みという危険をもたらします。チェンバー内では、皆が同じ意見を持ちます。その中にいると、まるで社会全体がその意見を持つように錯覚してしまいます。どのような意見であっても、そのチェンバー内では凄まじい力を持つ事になります。例えば、ネズミ講や霊感商法などもエコー・チェンバーを形成して発展していきます。これは正しい、こうすれば儲かる、幸せになれる、と周囲の人々から告げられ、自分もそれ以外の情報を持つ人々との繋がりを断ってしまう。結果、外部からはどれほど間違って見えても、内部の人にとってはそれが真実となるのです。

オウム真理教は、幹部に難関大学出身者を多く擁していたことが知られています。彼らは、サリン等の兵器製造に研究者として大きな貢献をしていました。それだけでなく、弁護士や医師などの高い社会的地位を用いてオウム真理教の権威を高め、擁護論を盛り上げて捜査の妨害を行いました。彼らもまた、エコー・チェンバーに囚われ、その快適さから逃れられなくなっていたのでしょう。

 

「同じ」を疑え

我々は意思決定を行うことで日々を生きています。良い意思決定を行うには、心地よいエコー・チェンバーに囚われることなく、多様な情報に接することが肝要です。他人と異なる意見を発信することをためらってはいけません。所属する組織が同じ意見で満たされるようになったら、外部の情報を求めるべきです。

社会には多様な意見を持つ人が存在します。そのため、議論を通じて意見を交換し、互いの合意を目指すことが重要です。社会を分断し、その合意形成の障害となるエコー・チェンバー。これをどのように克服していくかが、これからの社会の課題となるでしょう。

執筆者プロフィール

服部洸一
服部洸一日本ラッド株式会社 システムエンジニア
東京大学工学部卒。同大学院工学系研究科修士課程修了。

1990年、愛知県の浄土真宗寺院に生まれる。
学生時は社会現象に興味を持ち、人間関係のネットワーク、
情報拡散のメカニズムについて学ぶ。
2017年より現在まで日本ラッド株式会社にて勤務。