監視は行動を変えるのか:監視と犯罪抑止および萎縮効果

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田畑 暁生

田畑 暁生

東京大学経済学部卒業。東京大学大学院(社会情報学)博士課程単位取得退学。
神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授。

1965年東京生まれ。現在は姫路城の近くに、妻および3人の幼い子どもたちと暮らしている。専門は社会情報学および映像論で、とりわけ地域情報化政策と監視社会論に関心を持つ。最近の訳書にデイヴィッド・ライアン『監視文化の誕生』(青土社)、マイケル・バックランド『新・情報学入門』(日本評論社)がある。短編小説の執筆が趣味で、小説の著書には『あの頃、バブル』『風嫌い』(いずれも鳥影社)がある。ブログ 「akehyonの日記」

はじめに

 

私がこの小文を書いている2020年4月現在、新型コロナウィルス蔓延対策で緊急事態宣言が発令され、不要不急の外出は控えるようにとの要請が政府から出されている。大学も授業を対面から遠隔に切り替えた。これをあなたが読んでいる時には「コロナ禍」が過去のものとなっていることを望むが、残念ながら現時点ではいつ収束するのか分からない。

「コロナ対策」のために情報化、監視社会化はある面で進んだと言えるだろう。なかなか普及しなかった「テレワーク」や「遠隔学習」が、必要に迫られたために急速に普及した。テレワークの障害の一つとなっている「印鑑文化」も除去されることになるかもしれない。他方、監視カメラやGPSを使って感染者の足取りを追跡する手段も盛んに追求されている。例えばウォールストリートジャーナルの4月16日付けの記事(注1)は韓国やイスラエル、シンガポールなどを主たる対象とするものだが、政府による監視拡大の懸念を大いに抱かせるものだった。ベトナムでもスマホで感染者の居場所や行動が監視されている(毎日新聞2020年4月24日付け記事)。中国のハルビン市では、感染を隠していた市民を密告すると報奨金約45000円を出すと発表した(ANNニュース2020年4月23日)。感染拡大防止のために仕方ない面もあるとはいえ、政府の権限がなし崩し的に拡大することに危惧を抱く向きは多いだろう。

「監視社会」は80年代頃からの言葉だが、その流行にも何度か波がある。米国では9.11テロ(2001年)や、エドワード・スノーデンによる諜報機関の内幕暴露(2013年)の頃に、日本では住基ネット問題や盗聴法が話題となった90年代後半や共謀法問題などが盛り上がった2017年に、監視社会という言葉を扱った記事が増えている。

監視カメラの数も急増した。当初はイギリスが監視カメラの「先進国」とされていたが、中国での台数が急増し、現在では世界最多と見られている。英国の比較サイトComparitechは2019年、世界主要都市の人口1000人あたりの監視カメラ台数を推定している(注2)が、1位重慶市(1000人あたり168台)、2位深圳市(同159台)など上位5位までを中国の諸都市が独占し、ロンドン(同68台)は6位となった。中国は監視カメラの台数が多いだけでなく、人権意識が弱いためか、「天網」(スカイネット)などの顔認証システムが当局によって西側諸国よりも「自由に」利用されている。

監視社会論の第一人者であるデイヴィッド・ライアンを初め多くの論者が指摘するように、監視には善悪両面がある。善とされるのは人々への「ケア」であり、より具体的には防犯や見守り、安全といった言葉で語られる(冒頭で触れた「感染阻止」もまさにその一つだ)。そして悪とされるのは人々の行動が萎縮し、自由が失われるのではないか、というおそれだろう。

本稿は監視が人々の行動を変えるのかという問題を扱ったいくつかの研究を紹介するものである。第1節では監視と犯罪抑止について、第2節では監視と言論の萎縮について扱う。

 

 

1.監視と犯罪抑止

 

監視カメラの効果について、事件発生後の犯人の検挙については成果が上がっていると言って良いであろう。殺人や強盗といった凶悪事件のみならず、例えばハロウィーンの際に渋谷で「盛り上がって」自動車をひっくり返した若者なども、監視カメラ映像を用いて特定されている。

しかし監視が犯罪の予防に役立つかというと、様々な調査や研究はなされているが、事例や条件によって効果に差が出ている。

まず日本での研究から見ていくと、武田[2006]は、落書きに悩んでいる三地域(岡山市、大田原市、新宿区)の事例研究だが、その中で2001年1月2日、新宿中央通が広範囲にわたって落書きされた際に、監視カメラを設置した商店だけ落書きを免れたと言う。その後中央通の商店会は抑止効果を期待して19台の監視カメラを設置、カメラを設置した街路灯には、カメラの作動を告知するステッカーを貼った。2009年に警視庁は川崎駅東口に監視カメラを設置して犯罪が減少するかどうか検証する実験を行ったが、その報告書(警視庁[2011])によると、確かにその期間にカメラ設置場所で犯罪は減少している。しかし、カメラ設置以外の場所の減少幅は小さいことは、犯罪が「移転」している可能性も指摘されている。また、この報告書でさらなる防犯カメラの設置を提案したことには、2012年1月に日弁連が「警察が管理・設置する監視カメラに関する意見書」でプライバシーの観点から懸念を表明した。雨宮ほか[2017]は、博多の中洲地区と天神地区をフィールドとした研究(統制地区は監視カメラのない小倉駅南地区の繁華街)で、中洲地区では「ひったくり、自転車盗、自動車関連犯罪」で効果があったものの粗暴犯では効果がなく(むしろ増加した)、天神地区は効果がない、という結果であった。

 

欧米に目を向けると、マーティン・ギルとアンジェラ・スプリッグスによる英国の分析(Gill and Spriggs[2005])では13カ所のCCTV(Closed Circuit TeleVision=閉域テレビジョン、事実上監視カメラのこと)のうち(調査対象は15カ所であったが、2カ所はデータが不十分であった)、統制群と比べて犯罪が減少したのは約半数の6カ所だが、有意に減少したと言えるのは2カ所だけであるとした。ブランドン・ウェルシュとデイヴィッド・P・ファリントンによる2009年の著書『公共の場所をより安全にする』(Welsh and Farrington[2009])の第5章は、CCTV設置の犯罪への影響を調べた44の調査をまとめたメタ分析である(前述のギルとスプリッグスによるメタ分析との重複もある)。

カメラ設置地域は対照地域と比べて平均16%の犯罪減少があるもののその多くは駐車場での犯罪の減少(51%減)に起因するもので、他の地区(都市中心部、公営住宅、公共交通機関等)では犯罪が減少したという明確な証拠はあまり得られておらず、犯罪の種類としては自動車犯罪(自動車泥棒、車上荒らし、自動車破壊等)には効果が見られるが暴力犯罪には効果は乏しい、国別では英国は他国(ここでは米国、カナダ、北欧諸国)よりプラスの効果が出ている、とまとめている(注3)。米国のシンクタンク「アーバン・インスティテュート」は、ボルティモア、シカゴ、ワシントンの3都市での監視カメラの影響を調査して2011年に報告書を出したが、それによると、ボルティモアとシカゴで全体的に犯罪は減少したが地域や犯罪の種類によって差が出ている。ボルティモアのダウンタウンでは24.85%、グリーンマウント地区では13.24%、トリディストリクト地区では8.49%減少し、これらはいずれも統制群より減少幅が大きかった。

シカゴのフンボルト公園ではカメラ設置地帯の犯罪は全体で57.86%も減少したが、暴力犯罪の減少率は9.81%減にとどまり、麻薬犯罪は37.91%減少した。ワシントンでは、市民からの要望によってカメラの利用法に制約が加えられ、犯罪予防に関するデータの検証はできなかった(La Vigne et al.[2011])。ギュスタフ・アレキサンドリエの2017年の論文(Alexandrie[2017])は、方法論が確立しているとされる七つの研究のメタ分析だが、公道や都心の地下鉄駅での犯罪は24%から28%減少するものの公園や郊外の地下鉄駅では犯罪は減らず、むしろサッカー場での不品行やスーパーマーケットでの万引きの減少には効果的である、としている。

日本では一般人の監視(防犯)カメラに対する印象は決して悪くはない。日本版総合的社会調査(JGSS)の2006年調査でも81.0%の人が「賛成」「どちらかといえば賛成」としている(注4)。日本は国際的に見て犯罪率が低い「安全な社会」の一つだが、「安全」よりもむしろ「安心」のために設置されている側面の方が強いのだろう。三宅[2017]は、女子大生殺害死体遺棄事件を契機に島根県浜田市に導入された防犯カメラの分析を主眼とした論文だが、(浜田市では)犯罪予防効果の検証方法も確立しておらず、市民(住民)の犯罪からの「安全・安心」という心情に応えるものだった(p.48)と指摘している(注5)。

事後の犯罪捜査への利用ではなく抑止・萎縮効果だけを狙うだけならば、実際には写す機能がないカメラ状のものを設置して「威圧」するとか、近年路上でよくある「眼の画像」を貼っておくだけでも良いのかもしれない。眼の写真なり画像があるだけで、人々の行動を「望ましい方向に」変えるのにある程度の「効果」が上がることが実験で実証されている。例えばメリッサ・ベイトソンらの論文(Bateson et al.[2006])はニューキャッスル大学心理学科の学生を使って実験したものだが、コーヒーを自由に飲めるコーヒールームで、自主的に代金を入れる人の割合が、花の写真を貼っている週と、目の写真を貼っている週とで大きく違うことを明らかにした(下の図1を参照。細かく言えば、消費された牛乳に対する金額の比である)。特に、怖い目を貼っていた週には回収率は大幅に改善した。

 

図1:ベイトソンらによる論文中の画像

 

これと関連するが、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のケヴィン・ヘイリーとダン・フェスラーの実験「誰も見ていない?微妙な手掛かりが匿名経済ゲームでの寛大性に与える影響」(Haley and Fessler[2005])では、10ドルを自分と相手に分ける(どのように分けても自由)という実験をする際に、コンピュータ画面に「ホルス神」という目を強調した顔(図2を参照)を表示しておくと、単に研究所のロゴを表示していた場合よりも、相手に平等に分ける傾向が強まったという。特に「音あり」条件では、ロゴを表示していた場合の相手に与えた平均額が2.45ドルであったのに対し、ホルス神の眼に見つめられていた場合は平均3.79ドルで、大きな差がついた(「音なし」条件での差はこれほど大きくはないが)。いかに人間が視線に敏感かが分かる。

 

 

図2:ホルス神の画像

 

ゴミ捨て場等に眼の写真を貼っておくことは理由のないことではない。行動経済学などで近年流行している「ナッジ」(ちょっとした工夫で、選択の自由を残しながらも、社会的に望ましい方向へ人々を誘導すること)の好例かもしれない。

 

2.言論の萎縮

 

監視・記録されていると意識すると言動が萎縮する人は少なくない。「表現の自由」が強い権利として保護されるのも、萎縮の起きやすさに配慮してのこととされる。

この分野の古典的な研究は、「スタンフォード監獄実験」でも知られるフィリップ・ジンバルドーとグレゴリー・ホワイトによる1975年の大規模な実験「監視の萎縮効果」である。参加者をさまざまな監視下に置き、マリファナの合法化に関する意見を求めたところ、警察と情報を共有するなどと言われて脅された被験者の賛成は44%、脅されていない被験者では賛成が73%であったことから、監視そのものが自由な言論を抑圧する効果があるとジンバルドーらは結論づけた。

ジョナソン・ペニーが2016年に「Berkley Technology Law Journal」に発表した論文「萎縮効果:オンライン監視とウィキペディア利用」(Penney[2016])では、スノーデンによる暴露があった前後で、ウィキペディアのテロ関連項目(テロリズム、アルカイダなど48項目)へのアクセスの増減を調べることで、萎縮効果の有無を調べている。それによると確かにアクセスは減少している。ペニーは政府によるオンライン監視を警戒して、「萎縮効果」が起きたとしている。

ペニーはその翌年の2017年にも「インターネット監視、規制、オンラインでの萎縮効果」をINTERNET POLICY REVIEW誌に発表した(Penney[2017])。仮説的な状況のもとで、オンラインでの言論を自粛するかどうかを回答者に尋ねたものである。「政府による監視」があった場合、オンラインで特定の話題について「話したり書いたりしなくなる」(萎縮する)かどうかという質問に、「話したり書いたりしなくなる」(萎縮する)が22%、「いくらかは話したり書いたりしなくなる」(ある程度萎縮する)が40%と、合計で62%に達している。また、検索行動についても、政府による監視がある場合、検索活動が「とても萎縮する」と回答した人が40%、「ある程度萎縮する」と回答した人が38%で、合計78%にのぼった。また、企業による監視がある場合についても、「とても萎縮する」とした人が26%、「ある程度萎縮する」と回答した人が39%、合計65%にのぼっている。ただこれらは2016年の調査と違って主観的な回答なので、実際の萎縮行動とズレる可能性は(正負両面で)あるだろう。

ピュー・リサーチ・センターが2014年に発表した、キース・ハンプトン(ラトガース大学准教授)らの調査では、スノーデンが暴露したNSAの監視活動について、オフラインで議論すると答えた人が86%であったのに対し、SNSで議論すると答えた人は42%にとどまった。ネット上の言論は監視されている恐れがあると意識したことが、オフラインでの議論を選好する理由となっているだろう。ソーシャルメディアは「もう一つのプラットフォーム」として機能していない、とハンプトンらは指摘する(Hamptonほか[2014])。

エリザベス・ストイシェフは2016年に「Journalism & Mass Communication Quarterly」誌に発表した論文「監視下で(Under Surveillance)」において、イスラム国に対する空爆の架空のニュースを素材に、「沈黙のらせん」理論(注6)を用いながら、「オンラインで発言したいという意欲(Willingness to speak out online」を様々な条件下で測定している(Stoycheff[2016])。ストイシェフの実験では、「NSAが監視をしている」ということを実験中に思い起こさせること(Surveillance prime)が、「オンラインで発言したいという意欲」に影響しているかどうかを調べると、この二つの変数に単純な関係はなく、「自分が少数派だと感じていること(世論が自分に敵対的であること)」という条件を加えると、逆に「オンラインで発言したいとの意欲」は増した(5%有意)。しかしさらにそこに、「自分が監視を正当化している」という条件を付け加えると、今度は「オンライン発言への意欲」は減少したのである(1%有意)。

近年の(特に「スノーデンによる暴露」以降の)「オンラインでの萎縮」についての研究をいくつか紹介してきたが、オンラインでの萎縮はオフラインでの行動の萎縮にまで拡大する可能性もある。これに関してマーダー他(Marder et al.[2016])は「拡大した萎縮効果」(Extended Chilling Effect)という概念を提案している。これは、直接にフェイスブックを使っていない人が、自分の言動や写真・映像が他の人によって勝手にアップロードされてしまうことを恐れ、行動を萎縮させるというものである。

「萎縮」が監視されているという意識によって起きるとすると、監視社会を批判する文脈で現代は「監視社会だ」と主張し、それによって人々が説得されてしまうと、まさにそのことによって萎縮が起きてしまう可能性が存在するのである。悩ましいところではあるが。

 

おわりに

 

萎縮が起きるかどうかは主観的な現象である。監視カメラで撮られたり、言動を記録されたりしていてもそれに全く気付かなければ萎縮は起きないし、逆に、撮影されたり記録されたりしていなくても、「監視されているのではないか」との気持ちが無意識にでも働けば抑制や萎縮は起きる可能性がある。

ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』で使ったことから監視社会のイメージとして人口に膾炙したジェレミー・ベンサムの「パノプティコン」(一望監視型刑務所)は、まさにそのような効果を狙ったものだ。囚人を独房に収容し、囚人側からは監視塔の内部が見えない一方向的な視線にさらすことで、常に中央の監視塔から監視されているのではないかと意識させ、視線を内面化させる構造である(注7)。

監視カメラや眼の画像だけで犯罪や問題行動が減るのであれば、ファーストフード店が客の長居を減らそうとわざと固い椅子を使うといった事例と同様に「人間を動物扱いするものだ」との批判があっても、それで良いとする人もいるだろう。

とはいうものの、監視という脅しによって言論が萎縮したり、一般人ばかりが監視されて行動を操作されたりする社会は健全とは言えない。公文書の改竄や違法な破棄、果ては「文書を作らない」ようにすることなど、現在の政権の無法ぶりは常軌を逸している。最高権力者が辞任後に次々と訴追されるような国の政治は好ましくはないだろうが、国民に、ひいては未来の歴史家に監視されるという緊張感を失った政治は決して望ましくない。

監視カメラなりライフログ装置が最も必要なのは、政府高官の執務室かもしれない。

 

 


 

(注1)日本版Wall Street Journal 2020年4月20日記事「政府のプライバシー侵害、コロナ対策で進む」by Liza Lin and Timothy W.Martin.もっともそれから三日後には同じWSJ日本版に「コロナ追跡アプリ普及せず、シンガポールの誤算」との記事も出ている。執筆は同じLiza Lin氏とChong Koh Ping氏。

(注2)https://www.comparitech.com/vpn-privacy/the-worlds-most-surveilled-cities/     (2020年4月22日アクセス)

(注3)同書の続く第6章では、公共空間に照明をつけて明るくすることの犯罪抑止効果を論じているが、これもある意味では「監視による抑止」と言える。さらに第7章では実際の警備や「場所マネージャー」(Place Manager)といった仕組みによる犯罪防止を論じている。

(注4)http://jgss.daishodai.ac.jp/surveys/table/OPACCAM.html (2020年4月22日アクセス)。ちなみに他の年度にはこの調査項目はない。

(注5)犯罪を予防するという点から言えば、監視カメラをあからさまに設置して犯罪の抑止・萎縮を狙うのではなく、例えば目立たない形で監視カメラを密かに設置して、その行動から不審者を検出するという方法もある。AI技術の進展は著しく、顔認証や歩容認証を活用して逃亡犯を検出したり、動作から犯罪を起こしそうな人を見つけ出すといったことの精度は上がっていくだろう(逆に、Thys他[2019]のように、監視カメラを出し抜く技術もまた進展しているが)。ただその上でも、現場に警察官なり警備員なりが即座に駆け付ける体制作りが必要であり、そちらの方が難しいかもしれない。本文で触れた抑止と、この注で触れた「予知による予防」とはある面では矛盾する。前者は監視カメラを目立たせることで威圧するものであり、後者では監視カメラはむしろ目につかない方が良いからである。とはいえ、この両手段を併用することも可能だろう。

(注6)「沈黙のらせん」理論とは、ドイツの社会学者エリザベート・ノエル=ノイマンが提唱したもので、自分の意見が少数派だと感じている人はその意見を人前で言わなくなり、時間の経過に連れてそうした意見は消えて行くとする、マスコミ効果研究の中ではよく知られている理論の一つである。

(注7)もっともベンサム自身は、「視線の内面化」だけでなく、実際に長時間監視下に置くことが重要だと考えていたようだが(小松[2006],p.48)。


 

参考文献

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Bateson, Melissa ,Daniel Nettle and Gilbert Roberts “Cues of being watched enhance cooperation in a real-world setting” Biology Letters ,2,412-414,2006。

Doyle,Aaron and Kevin Walby “Selling Surveillance” in Dolye, Lippert and Lyon(eds)“Eyes Everywhere”Routledge,2012,pp.185-201.

Gill,Martin and Angela Spriggs “Assessing the impact of CCTV” Home Office Research Study 292.(https://techfak.uni-bielefeld.de/~iluetkeb/2006/surveillance/paper/social_effect/CCTV_report.pdf)

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Hampton,Keith et al. “Social Media and the Spiral of Silence” Pew Research Center,26 Aug,2014. (https://www.pewresearch.org/internet/2014/08/26/social-media-and-the-spiral-of-silence/)

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小松佳代子『社会統治と教育 ベンサムの教育思想』流通経済大学出版会、2006.

La Vigne,Nancy G. et al. “Evaluating the Use of Public Surveillance Cameras for Crime Control and Prevention” Urban Institute, September 2011.Manokha, Ivan ”Surveillance,  Panopticism,  and  Self-Discipline in the Digital Age” Surveillance and Society 16(2),2018,pp.

Marder,Ben ,Adam Joinson, Avi Shankar and David Houghton “The Extended “Chilling” Effect of Facebook: The Cold Reality of Ubiquitous Social Networking” Computers in Human Behavior 60,2016,pp.582-592.

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東京大学経済学部卒業。東京大学大学院(社会情報学)博士課程単位取得退学。
神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授。

1965年東京生まれ。現在は姫路城の近くに、妻および3人の幼い子どもたちと暮らしている。専門は社会情報学および映像論で、とりわけ地域情報化政策と監視社会論に関心を持つ。最近の訳書にデイヴィッド・ライアン『監視文化の誕生』(青土社)、マイケル・バックランド『新・情報学入門』(日本評論社)がある。短編小説の執筆が趣味で、小説の著書には『あの頃、バブル』『風嫌い』(いずれも鳥影社)がある。ブログ 「akehyonの日記」