ものがたりの医学 ~まとめ ――「ものがたりの医学」とどう向き合うか~

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糸数 七重

糸数 七重

日本薬科大学漢方薬学分野講師・同大学漢方資料館学芸員
東京大学薬学部卒。同大学院薬学系研究科修士課程・医学系研究科博士課程修了。博士(医学)、薬剤師。
沖縄県石垣島字石垣出身の父、字登野城出身の母の間に生まれ、石垣と東京を往復しつつ育つ。学部学生の頃より漢方医学をはじめとする東洋医学に興味を持ち、漢方薬理学を専攻する傍ら薬膳についても学ぶ。国立医薬品食品衛生研究所生薬部研究員、武蔵野大学薬学部一般用医薬品学教室助教を経て現職。現在は台湾・中国医薬大学研修派遣研究員として日本と台湾を行き来しつつ、漢方および薬膳に関する研究を行なう。一方でヨガをはじめとする東洋のボディワークについても学び、活動する身体を支える医療と食についても研究・実践を深めている。

<連載第13回>

 

どの立場から何を選ぶか

 

これまで12回にわたって、いわゆる西洋医学ではない医学・医療を「ものがたりの医学」と名付け、それについて述べてきました。誠実に、そしてなるべく言葉の言い回しで事象をごまかしてしまうことのないように努めてきたつもりです。そのためにエクスキューズの多い表現になり、くだくだしいと感じられる部分もあったかもしれません。

 

しかし、現代において「ものがたりの医学」と向き合うには、実はこの“くだくだしさ”が非常に重要になってきます。

「ものがたり」には語り手がいる――すなわち主観が必ず重要な因子となっています。ということは、語り手やその立場が違えば、語り起こされて来るのは全く異なったものがたりとなり得るということを意味します。

ある食べ物は身体にいいのか悪いのか。

ある薬は病気を治すのか治さないのか。

ある治療方法は適切なのかそうでないのか。

語り手が違い、受け手が違えば上記の答えはすべて違ってきます。そしてどれも「誰かにとっての一定の正当性」は持っているのです。その中で自分はどの立場から何を選ぶのかということを常に考え続けねばなりません。

 

 

今回私は、いわゆる非西洋医学に焦点を合わせるための仕掛けとして、「ものがたりの医学」「証拠の医学」という対立構造を敢えて設けました。けれど私たちが生活している社会の中では、実はこれらは混然一体となって私たちを取り巻いています。

例えば「証拠の医学」に類することでも、これまで知られていなかった新たな事実が明らかになり、従来の方法が否定されることがあります。その時、従来の方法についてなされていた説明、効果があった理由やなかった理由に関する文言が“結局本当のことは言い表していなかった”となることもあります。

科学的な証拠があるから絶対に正しいのだと考えていたことそのものが、科学の名を冠したものがたりに納得して信じていたのだった――と、後からわかるのです。

感染による発熱が生体防御機構のひとつであるとわかれば、今までの「発熱したら解熱剤を服用するのが最も一般的な治療法である」という方法は誤りとなり、以降は「解熱剤はどうしても熱を下げる必要があるときのみに使う」となります。そうなったとき、薬を使うこと、使わないことに関する説明やそれに対する理解の仕方は、新たな事実が周知される前と後とでは違ってくるでしょう。

というよりも、生活者としての私たちは「証拠の医学を理解している」のではなく、「証拠があるのだ」という決まり文句が必ず入ってくるものがたりに納得しているのかもしれません。

 

ものがたりの中に納まっていた事象が「証拠の医学」へと移ることもあります。

開腹手術後のイレウス予防に大建中湯が使われるようになったケースでは「作用機序は証拠として使えるものではないが、有用性に関する比較試験結果は証拠となり得る」という着眼点の変換を行なうことで、「ものがたりの医学」の中にあったものが「証拠の医学」へと片足を踏み込むことになりました。

けれど、この話にはもう少し考えるべき点が残っているようにも思われます。

私たちは一時期、確かに術後の癒着性イレウスへの対応手段を持っていませんでした。けれども大建中湯の適応症状として、膨らんだ腸が腹壁をせり出させる――これは確かにイレウスの症状です――という観察結果は、漢代から大建中湯の解説の中にあったのです。

「これはものがたりに過ぎない」として漢方というシステムを廃棄したことは「一度手にしていた証拠を捨て、それと同時に手段も捨てた」ことだ、という解釈もできるのではないでしょうか?

 

本稿で取り上げた例だけでなく、世の中には「証拠の医学」と「ものがたりの医学」が絡み合ったものが無数に存在します。

統計上あらわれたエビデンスと個々人の体験談を、私たちはいつの間にか同じ次元で受け取ってしまっていたりします。受け取る人の価値観もそこには影響してくるでしょう。最新の知見をよしとするのか、古くから伝えられてきたことをよしとするのか、症状を抑えて常に活動が滞らないことをよしとするのか、身体がトラブルを抱えていない状態を維持することをよしとするのか。

 

この状況の中で特に気をつけねばならないことがあります。

まず、私たちは、自分が何に価値をおき、何を求めて生活や治療の方式を選択しようとするのか、その前提を明確に意識しないまま、方法論の良し悪しを知りたがりがちだということ。

それから、私たちは――特に心身にトラブルを抱えているとき――「信じるものを外部に持つ」ことを望みがちであるということ。

 

私たちの周囲に存在する無数の「ものがたりの医学」は、様々なバックグラウンドの中で、様々な価値観や体験に支えられて語り起こされたものです。

発生した土地の土着の信仰文化と深く結びついているがゆえに、半ば神話や信仰に見えるものもあります。

語る際に「証拠の医学」の言葉を援用し、ほとんど「証拠の医学」に見えるものもあります。

 

様々な「ものがたりの医学」ですが、共通して言えることがあります。それぞれのものがたりはいずれも、身心の健康維持やトラブルの解消に関する何らかの事象についての、様々な解釈のひとつであるということです。

そしてそれが医学として残り得たのは、それが真実だったから――ではなく、その解釈がしっくりくるような生活様式と価値観を持つ人々が一定数いたからです。ですから、自分の今の生活様式や価値観が、そのものがたりのベースとなる価値観と重なっているのかどうかをまず認識せねばなりません。

 

「唯一絶対の真実」は存在しない

 

繰り返します。ものがたりである以上、“文化”“価値観”は必ずついて回ります。そんなものは関係ない、このものがたりはすべての状況に対応しうる唯一絶対の真実なのだという文言とは心理的に距離を取るべきです。――少なくともそれが医学、医療の領域に属するものである限りは(そして「証拠の医学」についても、これまた未だに抜けの多い存在であり、今のところやはり唯一絶対などではありません)。

 

そして、何らかの「ものがたりの医学」を選んで自分に適用する際は、自分はどういった価値観のもとで、何を求めてこれを選んだのかということを意識の片隅にでも記憶しておくことが重要です。

選ぶものは何でも構いません。選んだ理由が直観であっても構いません。ただ、自分は数あるもののなかから“それ”を選んだのだということ、“それ”が自分にとってどんなに素晴らしいものであったとしても、自分と異なった価値観を持つ人には幸せをもたらさない可能性もあるということは忘れてはいけないのです。

これは、他の人に対して“提案はしてもいいけれど押し付けてはいけない”ということだけではありません。自分自身に対しても、です。

価値観が変わっていったなら、状況が変わっていったなら、選ぶものも変わって当然です。何を選んでもいいけれども、執着してはいけないのです。

 

言い換えれば「信じ切ってしまってはならない」ということです。信用、信頼がなければ医療は確かに成立しません。けれど妄信、思考停止となってしまうとこれまた身動きがとれなくなります。一方でその裏――すなわち「問答無用で否定してはならない」もまた正しいのです。

 

絶対解は存在しない、何を選んでもいい、信じるな、否定するな。

ではどうするのか。

その「ものがたりにもとづく治療」を受け取る自分の身体の反応、自分の持っている価値観に同時に意識的であることが重要だと私は考えています。そして身体は変化するものであり、だからこそ何度でもものがたりを選びなおしてよい、ということも。

 

自立した「ものがたりの受け手」として

 

常に自分の状態を顧みては判断をし続けるというのは、少し面倒に感じるかもしれません。けれど世の中には本当に数多くの「ものがたりの医学」が存在します。そう、ちょうど様々な書籍が、口伝が、歌があるように。

そのどれかに耽溺することなく、自立した「ものがたりの受け手」でいつづけることこそが、私たちの身心の健やかさにつながるのではないか――そう、私は考えています。

 

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糸数 七重

糸数 七重

日本薬科大学漢方薬学分野講師・同大学漢方資料館学芸員
東京大学薬学部卒。同大学院薬学系研究科修士課程・医学系研究科博士課程修了。博士(医学)、薬剤師。
沖縄県石垣島字石垣出身の父、字登野城出身の母の間に生まれ、石垣と東京を往復しつつ育つ。学部学生の頃より漢方医学をはじめとする東洋医学に興味を持ち、漢方薬理学を専攻する傍ら薬膳についても学ぶ。国立医薬品食品衛生研究所生薬部研究員、武蔵野大学薬学部一般用医薬品学教室助教を経て現職。現在は台湾・中国医薬大学研修派遣研究員として日本と台湾を行き来しつつ、漢方および薬膳に関する研究を行なう。一方でヨガをはじめとする東洋のボディワークについても学び、活動する身体を支える医療と食についても研究・実践を深めている。