<連載第4回>

 

‟研究” を読み解こう

前回は “ものがたりといっても様々な種類があるように、ものがたりの医学にも様々なサイズや世界観の堅牢度がある” という話をしました。では次に、これら “様々なものがたりを研究する” とはどのようなことなのかを2回に分けて考えたいと思います。

 

ところでこの “研究” の語ですが、ひとまず今回と次回においては「現代のサイエンスで切り込む」という意味で使用します。

実践家が口にする“研究してゆく”は、それぞれの“ものがたりの医学”について、その世界観の中でテキストを読み込み、実践を続け、体験を重ねていく…ことにより、理解を深めよりよいケアを提供できるようになることを意味する場合が多いのですが、今回はその意味では用いません。

実際、一般生活者たる私たちの日常により大きく関わってくるのは “伝統的に行われてきた医療について、サイエンス的研究によりそのメカニズムが明らかになった(ので、それを援用することにより、難病が治せたり生活の質が改善したり痩せたり男性機能を向上させられたり…が可能になる)” という文言だからです。

なので、この文言の読み解き方を理解しておくことこそが快適な身心のためには必要性が高くなってくるでしょう。

 

「イイツタエ」の “研究” とは

そして、この “研究” と最も相性がいいのは前稿でも書いた通り「イイツタエ」的医学、つまり系統的なバックグラウンドを持たない治療知識です。

ある物質を利用することで不調や疾病が軽快する、という事実だけがある。何故か、ということについては語られていない。となると、その「何故か」の部分をサイエンスの言葉で語り、補足すれば良い。なぜ “効く” か、ということが明確になり、我々は安心して今まで知られていなかったその効果を享受できる、というわけです。非常に明快です。

「イイツタエ」は証拠の医学の中に完全に取り込まれ、サイエンスの裏打ちに支えられて我々のもとに届くようになります。「イイツタエ」から導き出され、あるいは離れて、基原となった植物等から取り出された純粋な物質が新たな(現代医学の)医薬品として使用されることもあります。

例えばヤナギ(歯の疼痛を止めたり防いだりするのに効果があるとされ、楊枝――まさに “ヤナギの枝” と書きます!――の材料とされました)からは解熱鎮痛薬の代表であるアセチルサリチル酸、すなわちアスピリンが取り出されています。

このフィールドにはそれこそ健康食品から医薬品までが含まれ、私たちの生活に次々ともたらされます。ですからこの時に気をつけなければならないのは “研究” のほうの内容や質ということになります。

人体はビーカーではない

例えば身体の中で発揮される効果をビーカーの中で “再現した” といっているもの。

大変ビビッドでわかりやすい写真とともに “効果の根拠” が示されていますが、体内環境はビーカーの中とは異なります。身体に取り込まれたものは胃酸の影響を受け、肝臓で代謝され、腸で血中に取り込まれます。あるいは胃で他の内容物と混和されながら腸へと進んでいきます。人体はビーカーの中のようにシンプルな環境ではありません。

きれいな差の見えるグラフで示されたもの。

そのグラフの数値は本当に私たちが求める効果を評価するのに足るものでしょうか。研究そのものは適正に行なわれていたとしても、私たちが望む身体の変化にダイレクトには結びつかない結果を根拠として宣伝されてはいないでしょうか。

 

どれを信じるべきか迷ったら

“ものがたりの医学” の読み解き方からはかなり外れる話になりますが、あらゆる「身体によい/悪いという研究結果が出た」という情報に対して、「その表現は適切か」という意識は必ず必要です。

でも、そんなことを言われても専門家でないのでわからない、科学的な警告と冷笑的な反対意見はどう見分ければいいのだ、私は今、快適でない身体を抱えて困っている、問題を解消なり軽快させるなりする手段がほしいのだ、という場合もあるでしょう。

その時は――(アレルギーがないことだけは確認して)虚心坦懐に使ってみる、そして自分の身体の反応ときちんと向かい合い、評価し、使用によって身体に快適さがもたらされるかどうか確認する、という手段があります。

その前に「専門家に尋ねてみましょう」といいたいところですが、専門家を名乗って目の前に現れる人も本当に種々様々です。いろんな意見がありすぎてどれを信じればいいかわからない! となれば――巷にあふれる情報に最終的な評価を与えるのは身体の反応なのです。

なので、使ってみる、という判断の後は身体の反応を正直に受け止めること。事前情報と身体の反応を比べ、受け入れられる状況であるかを正直に判断すること。判断を先送りして摂取し続けないこと。

一方でやはり、研究の質を読み解く力は是非身に着けてゆきたいところです。

 

快適な身心で生きていい

逆に“研究”とどうも馴染みが悪いのは「小説」的医学です。研究と相性が悪いというよりは、研究によって説明・評価した結果を論じる場が非常に小さいのです。

これらの医学は「近現代医学の欠陥を補完し、あるいは代替する」という意識のもとに語り起こされていることが多いため、近現代医学の手が及んでいない部分で、あるいは近現代医学の文脈を拒否するような形で方法論や実践フィールドが発展している…というのが、おそらくはその理由ということになるでしょうか。

ひとつの “ものがたり” の中だけで話が完結する、というのは、検証の手段が限定されるという観点からひどく危なっかしいものではあります。

とはいえ、 “研究” の及ぶ範囲から取りこぼされたひとたちの心身――特にメンタル、スピリチュアルな部分――を支える手段を提供しているというのも事実なのです。

ですから「研究と相性が悪い」からといって、即座にインチキだと断じてしまってはなりません。人は快適な身心で生きていきたい。そのための可能性はいくらでもあって然るべきです。

 

では、どうするか。

これも、実は “研究の質について判断できなくなったとき” と同じです。

ものがたりに破綻がないか、一歩引いたところから冷静に眺めてみる。その結果、そのものがたりに納得がいき、使ってみたいと思ったなら、ひとつの提案として試してみること。そして、身体の反応をきちんと受け止めて、判断すること。

 

最後の最後に頼りになるもの

世の中には様々な方法論があります。しかし、身体はそれと関わりなく反応しているのです。その反応を説き起こしたのが「ものがたりの医学」、その反応を個々に並べたのが「証拠の医学」――という観点からすれば、いずれの医学もひとつの身体の周りを少し距離を置いて取り巻く理論という意味では同じといえるかもしれません。

身体の声をきく、という言葉はどこにでも軽やかに流通していますが、実は最後の最後に頼りになるのはあなたの身体の反応、それ自身なのです。

執筆者プロフィール

糸数 七重
糸数 七重日本薬科大学漢方薬学分野講師・同大学漢方資料館学芸員
東京大学薬学部卒。同大学院薬学系研究科修士課程・医学系研究科博士課程修了。博士(医学)、薬剤師。

沖縄県石垣島字石垣出身の父、字登野城出身の母の間に生まれ、石垣と東京を往復しつつ育つ。
学部学生の頃より漢方医学をはじめとする東洋医学に興味を持ち、漢方薬理学を専攻する傍ら薬膳についても学ぶ。国立医薬品食品衛生研究所生薬部研究員、武蔵野大学薬学部一般用医薬品学教室助教を経て現職。
現在は台湾・中国医薬大学研修派遣研究員として日本と台湾を行き来しつつ、漢方および薬膳に関する研究を行なう。一方でヨガをはじめとする東洋のボディワークについても学び、活動する身体を支える医療と食についても研究・実践を深めている。