<連載第2回>

 

「ハート」が意味するもの

ハート、といった時に何を指していると考えるでしょうか。臓器の心臓を英語で言えばハートですし、想いや心意気の意味を含ませる「ハートが大事なんだ」などの言い回しもあります。記号のハートマークから恋愛感情に至るまで様々な意味づけがこの語にはなされているわけですが、ここで取り上げたいのは「臓器としての心臓」と「こころ」の二つです。

 

心臓。臓器の一種。かたちあるもの。胸部に位置し、開胸すれば見ることも取り出すこともできるもの。不随意筋の集合体。血液循環とそれによる生体細胞への酸素供給を生み出すポンプ。不随意筋とは、意識による直接的な動きのコントロールが基本的には不可能とされる筋肉です(気功やヨガの修行者は呼吸により心臓の動きもコントロールできると主張しますし、実際それらの方法に則った瞑想時に心臓の拍動シグナルが変動したという報告1)もあります。しかしそれを言い切るには生体反応の変化のどこまでが自意識によるものか、それは直接的なものか間接的なものかという議論をせねばなりません。いずれそのことについても論じたいと思いますが、今はひとまず置いておきたいので“基本的に”とします)。

 

痛む「こころ」の形

こころ。感情。意識。自分のなかから湧き上がってくる思い。あるいは外部からの刺激に対する反応として発生し、感じられるもの。かつては心臓がその臓器としての表れであるとされ、現在は神経の集合体である脳の働きの一部であるとされています。しかし一方で「こころ」が神経上を走る電気信号だけのものであるわけがないともいわれます。つまるところ、統一見解は現在のところありません。当然、取り出して見せることができる「かたち」はありません。

 

長々と書きました。ではなぜこれだけ違うものが、同じ「ハート」の語で表されるようになったのか――“ヒトが生きてきて体験した実感と納得”がその結びつきを生んだのだ、と私は考えています。喜びや怒りで興奮を感じた時に拍動が激しくなるのを我々は体験しています。深い悲しみや苦悩の中で、胸部が締め付けられるように痛むことも体験しています。であるならば、この胸の中心で拍動しているもの、これこそが「こころ」の中枢なのであろう。そしてこの拍動しているものを刺すなりなんなりして物理的に破壊すればヒトは死ぬので、これは生命活動の中心部でもあるのだろう…

 

「ものがたりの医学」の中で、身体を構成する器官はそのようにして規定され、名づけられてきました。自身が感じることと客観的な観察を結びつけながら、身体の内部の機能とそれを生み出す器官について考察し――もっと言うと、透視するようにして、身体を記述してきたのです。紛らわしさを避けるために「ハート」「心臓」「こころ」のセットを取り上げましたが、東洋医学ではこの「器官の透視」はもっと精密に行なわれてきました。

 

人体構造という「ものがたり」

東洋医学には“五臓六腑”、という言葉があります。五臓とは肝・心・脾・肺・腎、六腑とは胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦です。これらはすべて「ものがたりの医学」の中の言葉です。東洋の文化の中では“ケガレ”の意識が強かったためか、人体を観察する目的で解剖する、ということが系統的には行なわれてきませんでした。これらの臓腑の名前はすべて、何千年の歴史の中で、皮膚を隔てながら人体の観察を続け、生じる諸々の事象や反応について、例えば中国伝統医学をベースとする場合は陰陽五行論を援用して説明し、“語りなおした”――その精華、結実として確信されるようになった諸々の機能概念に対して与えられた名前なのです。例えば伝統医学の五臓論における「心」を西洋医学の言葉で書き表すと、「心臓の拍動にもとづく循環機能・大脳新皮質を主とする高次神経系の機能・一部の自律神経機能を含めた機能系」となります。2)。

 

とんでもない長期間にわたる観察の結果、人体の機能はそれこそ透視されたかのようにかなりの精度で記述されました。機能概念に名前だけでなく形を与え、人体構造を図解することも行なわれました。ただしそれはやはり「ものがたり」だったのです。
もちろん、例えば美術の分野で、“九相図”といって野外に打ち捨てられた死骸が腐敗し白骨化していく過程を九段階に分けて描いて人間の存在の無常を説く仏教絵画などもありますから“物質としての人体構造”が全く未知だったわけではないでしょう、しかし医学生理学的な見地から人体を解剖し、組織や器官について完全に物質として取り出し、客観的に観察するのは西洋医学の流入を待たねばなりませんでした。例えば日本においては『ターヘル・アナトミア』3)の到来、明和8年の小塚原の腑分け4)、そして『ターヘル・アナトミア』を手にしながら腑分けを見てその精確さに衝撃を受けた医師たちによる『解体新書』5)の出版、という一連の流れがそれに該当します。

 

「蒸し釜」で「軽焼きまんじゅう」を焼く?

ところで翻訳というのは、言語Aを言語Bに置き換えることですが、この置き換えが成立するためにはふたつの言語が――少なくとも単語レベルでは対となっていなければなりません。さもないと大変な苦労が生じます。例えば1952年に村岡花子女史が『赤毛のアン』を翻訳出版した当時、日本にはオーブンやシュークリームという概念そのものが一般的でなかったため、それぞれ“蒸し窯”“軽焼きまんじゅう”と訳出された――という具合。そして「ものがたりの医学」しかなかった往時の日本で「証拠の医学」の基本ともいえる解剖学の教科書を翻訳しようとしたときに何が起きたか。

 

存在しなかった概念を創りだしたりオランダ語の音をそのまま残したりするのでなく、翻訳者たる医師たちは自分たちの知っている語をあてはめました。解剖学、すなわち「証拠の医学」を記述するために用いられている具体的な臓器の名前の訳語として「ものがたりの医学」たる東洋医学で用いる臓腑の名前のうち、機能や“そこにそれが物体としてある”とされていた位置が最も近いものをあてはめたのです。

これが実は現代日本において盛大な混乱を生んでいます。

「腑に落ちる」ことの危うさ

今回の文章は連載第1回と比較して言い訳めいた記述が多いし、ずいぶん読みづらいなと思った方が多いと思います。これは言葉の定義を精確に行なおうとして例外に言及するなどしたせいなのですが――これこそが実は「証拠の医学」のルールなのです。すなわち、分けること、例外を例外として記述すること、分けたものの関係性をなるべく正確に言い表そうとすること…当然文章はややこしくなり、何が言いたいのかわからなくなってきます。科学にもとづいたものは正確だ、素晴らしい、と評されていたものが「何が言いたいのかわからん」「だから、つまるところどうなるんだ」という感覚を産むに至ります。その時にわかりやすい「ものがたり」が現れたら、それこそが腑に落ちると感じられるのではないでしょうか。それにこの「ものがたりの医学」は生きた人体の観察から生まれています。生きて生活している私たちの感覚に非常にしっくりと沿うのです。私たちの心身が快適であるためには、やはり二系統の医学を組み合わせて使っていくことが必要でしょう。

 

ただ、問題がひとつあります。私たちは「取り出された証拠」としての解剖学的な臓器と「透視された(かのような)機能概念」としての臓腑を同じ名前で呼ぶという随分あぶなっかしい言語の運用方法の中で生きることになってしまっています。
『赤毛のアン』において一度は“蒸し窯”と訳された“オーブン”は、今は“オーブン”としか言われません。ですから今はオーブンと蒸し器をうっかり混同する人はいません。でも、「証拠の医学」と「ものがたりの医学」の間では“オーブンと蒸し器の混同のようなこと”が起きてしまっています。「ものがたりの医学」は確かに腑に落ちる。しかし「証拠の医学」とは別系統の人体の記述方式なのです。しかし用いられる術語が同じだと、二つの医学を“組み合わせて”使うのではなく“混ぜて”使うことが可能であるかのような錯覚を私たちはつい起こしてしまうのです。

 

 

ですから、巷にあふれる医療情報を読むときには、注意せねばなりません。「証拠の医学」の術語は“取り出された現物”を指し、「ものがたりの医学」の術語は“透視された機能概念”を指しています。これらは似ています。似ているけれど違うのです。オーブンと蒸し器を間違えてもベイクドケーキが蒸しケーキになるだけでお腹は壊さないと思いますが、二つの医学を意識して組み合わせることなく適当に混ぜてしまうと――まさに“混ぜるな危険”で、適切な医療から遠ざかってしまい、健康被害につながることさえあるのです。

 

 

【参考文献および注釈】
1) Goshvarpour A. Comparison of higher order spectra in heart rate signals during two techniques of meditation: Chi and Kundalini meditation. Cogn Neurodyn. 2013 Feb;7(1):39-46
気功とクンダリーニ・ヨガの技法を用いて瞑想を行なったところ、気功瞑想では心拍数が減少し、クンダリーニ・ヨガの瞑想では心拍数が増加したという報告。

2)神戸中医学研究会編著 『中医学入門』第2版(医歯薬出版株式会社)p.22

3)1722年にドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスによって書かれた解剖学書のオランダ語版。日本には1770年前後に到来したと考えられる。なお書名『ターヘル・アナトミア』はドイツ語の書名の音訳でもオランダ語の書名の音訳でもなく、日本独特の呼称である。

4)日本では人体解剖は一般的でなく、学術目的での解剖が初めて行われたのは宝暦4年(1754年)に医学の発展に解剖は必須と考えた医師・山脇東洋が京都にて刑死者の解剖(腑分け)を行なったのが最初であるといわれる。山脇は解剖書『蔵志』を執筆・出版したが多くの医師たちは“腑分無用論”を唱えこれを批判した。その後、明和4、5、7年に1例ずつ医師による腑分けが行なわれ、さらに明和8年(1771年)に小塚原の刑場にて医師・前野良沢、杉田玄白らが『ターヘル・アナトミア』を参照しつつ腑分けを行ない、記述の正確さに衝撃を受けてその翻訳を決意したのが日本に解剖学が根付くきっかけとなったとされる。

5)前野良沢・杉田玄白らによる『ターヘル・アナトミア』の翻訳書。安永3年(1774年)発行。ただし完全な対訳ではなく、現在では『ターヘル・アナトミア』を底本とした前野・杉田らの著作と解釈するのが正しいとも言われる。

執筆者プロフィール

糸数 七重
糸数 七重日本薬科大学漢方薬学分野講師・同大学漢方資料館学芸員
東京大学薬学部卒。同大学院薬学系研究科修士課程・医学系研究科博士課程修了。博士(医学)、薬剤師。

沖縄県石垣島字石垣出身の父、字登野城出身の母の間に生まれ、石垣と東京を往復しつつ育つ。
学部学生の頃より漢方医学をはじめとする東洋医学に興味を持ち、漢方薬理学を専攻する傍ら薬膳についても学ぶ。国立医薬品食品衛生研究所生薬部研究員、武蔵野大学薬学部一般用医薬品学教室助教を経て現職。
現在は台湾・中国医薬大学研修派遣研究員として日本と台湾を行き来しつつ、漢方および薬膳に関する研究を行なう。一方でヨガをはじめとする東洋のボディワークについても学び、活動する身体を支える医療と食についても研究・実践を深めている。