<連載第9回>

 

漢方=「じりじり」?

一度メインストリームから外れた歴史を持つ漢方は、その間にあれこれと誤解を背負い込んでしまいました。中でもよく出くわすのは「漢方はゆっくりと体質改善をするものであり、長期間飲んでじりじりと効かせてゆくものである」というものです。

もちろん、そんなことはありません。急性期に使える薬を持たない医療システムでは実用に耐え得ません。これは「ゆっくりと身体の状態を変えていくことでしか対応できないような不調であっても、漢方処方を用いるのであれば比較的対処の手段が多く存在する」ということが何故か捻じれて広まったもの、と考えるのが妥当でしょう。

さらにもうひとつ、「病原微生物を殺したり活動を抑えたりする医薬品、および症状の現れるメカニズムをブロックすることで急性疾患の辛い症状を抑える医薬品を武器として持っている」西洋医学が、「確実に原因となる微生物を抑えられる」そして「症状を非常に急激に軽減できる」ということで、急性疾患の治療および症状抑制において圧倒的な強みを誇ったことも「漢方は慢性疾患に使用するもの」というイメージを強化しました。

 

漢方という「ものがたり」の中には、身心に害をなす「邪」という概念はありますが、病原微生物という存在を見出すことまではかないませんでした。“敵”が特定できなければそれを攻撃することもできません。同様に身体のメカニズムを概念的なバランスの在り様でとらえる場合、特定の症状をピンポイントで消し去るという操作もしづらくなります。

一方で生活者としては、「病気である」ということは「症状のために日常生活に支障をきたす」ことと等しい。つまり即座に症状を感じさせなくしてくれる西洋医学の医薬品こそが一般生活者の視点からすれば「便利でよく効く」薬なのであり、すぐ消せる急性症状が現れた時の第一選択として西洋医学とその薬が選ばれてきたのは当然ともいえるのです。

 

西洋医学の薬が十分に効くのなら、急性疾患の治療はすべて西洋医学の薬で上位互換されうるともいえるのだから、漢方はやはり慢性期の体質改善にのみ使用する薬ではないのかと言われるかもしれません(事実、一時期はそう思われてきました)。ところが西洋医学の研究が進み「症状を感じない=病気が治った」わけではない、ということがわかってきたことから、急性疾患への漢方処方の使用を一つの有効なアプローチとして見直すケースも出てきています。

 

漢方と急性疾患

では、漢方のものがたりの中では、急性疾患の発病と治癒はどのようにとらえられているでしょうか。またそこに漢方処方はどのように関わっているでしょうか。

以下、漢方三大古典のうち薬物治療論に相当し、急性発熱性疾患の推移と治療について記した書物である『傷寒論(しょうかんろん)』を大づかみにご紹介する形で(そしてできるだけ漢方用語そのままで押し切ることなく、また安易に西洋医学の用語で置き換えて有耶無耶にすることなく)言語化していこうと思います。

 

まず、体内に外部からの邪気が侵入します。今なら病原微生物が何らかの経路で体内に侵入したとでも言うべきところでしょうが、『傷寒論』では寒邪(かんじゃ)あるいは風邪(ふうじゃ)が入った、と表現します。そもそも“傷寒”とは“寒(かん)に傷(やぶ)られる”の意です。ちなみに現在一般に使用している“風邪(かぜ)”の語もこの“風邪(ふうじゃ)”から来ていますが――つまり、何かうっかり体表を冷やしたことがきっかけで悪いものが体内に入る、としているわけです。

 

漢方が「冷え」を嫌うわけ

ちなみにこの「冷えたら病気になる」は非科学的だとよく指摘されます。ヒトは哺乳類で恒温動物なのでそもそも冷えない、また、細菌なりウイルスなりが体内に入らなければ感染するわけがない、と。

 

まったくその通りです。単に寒いだけでは感染性疾患にはかかりません。

ただ、細菌やウイルスは環境中に存在しており、我々は受動的にこれに暴露された状態にあります。そして環境が温和でない状況下において、我々は体温維持等のために余分にカロリーを消費し、組織や器官を活動させねばならず、結果、そうでないときよりも感染に対して脆弱になります。睡眠不足や栄養が足りていないなどの条件が感染を引き起こしやすくなるのと同じです。漢方が「冷え」を嫌うのは、東アジアにおいて易感染を誘発するものとして頻発する条件が「寒冷な環境」であったということでしょう。

 

もうひとつ、この「冷え」は「寒気を感じる」ということも指しています。

近年、「発熱は感染の結果生じることではあるけれども、単に病原微生物と免疫系が拮抗している時に生じる炎症反応的なものというだけではなく、本来生体が持っている防御反応として生じるものでもある」ということが西洋医学的にも解明されてきました(深部体温を一時的に上昇させることにより病原性微生物の繁殖至適温度よりも高温な環境を作りだす、免疫系の活性化を促す等)。

発熱は感染成立後に脳の体温中枢が刺激されることで生じる現象なのですが、中枢で体温のセットポイントが高く設定されたとしてもそれだけでは当然体温は上がりません。熱放散を抑制し、また熱を作りだすという実際の作業が必要になります。そのためには汗腺を閉じ(熱放散の抑制)筋肉を自発的に動かす(運動による熱産生――これは何かというと骨格筋が勝手に震えるのです)ことになります。

現象としては鳥肌が立って身体がガタガタと細かく震えます。そうすると、生じている現象に対し、感覚は「自分は今、寒くて震えている」と判断してしまうわけです。この場合、客観的に見ると「寒邪・風邪に傷(やぶ)られて病になる」わけではなく、「罹患しかかっているので寒邪・風邪に傷られたように感じている」わけですが、ゾクゾクとした寒気を“感じた”(ここで体温上昇のための作業をしている)後に実際に熱が上がってくるので、主観的には「寒邪・風邪に傷(やぶ)られたので病になった」となるわけです。

解熱剤は要らない?

さて、では――寒邪・風邪が感染の原因であるにせよ結果であるにせよ、急性発熱性疾患、特に感染症に解熱剤は必要か。
漢方ではこういった場合「結果的に解熱する」ことはあっても、直接的に解熱のみを目的とする処方は使用しません。また、現代の医学においても「発熱は生体防御反応なので安易に解熱すべきでない」とされています。

それでも解熱剤が存在し使用されているのは、ひとつにはあまりの高熱が続くことが生体にとって危険となる場合があるから、もうひとつには「社会的生物である人間の都合がある」からです。自分の体調不良を原因に変更できないスケジュールがある、他人に感染さえさせなければ、ひとまず症状を抑えてスケジュールをこなしてしまおう…これをどう評価するかは価値観によるでしょうが、少なくとも生き方の多様性が尊重される現代において、他人に感染させない限り選択肢は多く存在してよいでしょう。

 

では、漢方では急性発熱性疾患にどう対応するのか。

急性熱性疾患とその進行について、漢方では、侵攻してくる勢力と防衛する勢力の戦いのようなイメージでものがたります。病邪(びょうじゃ)は体表から徐々に内臓の奥深くへと侵入しようとする、身体の本来の機構は病邪を外へ排出しようとしながら、力が及ばなければじりじりと“戦場”を体内へ移してゆく、そしてだんだんに籠城戦の様相を呈してゆくのだが、そこで身体の本来の反応力が病邪に比して弱くなってしまうと生命活動は徐々に不活発になってゆき、最終的にショックに陥り、死ぬこともあり得る、と。

そう簡単に最終的な状況になってはたまりませんし、できれば初期のうちに侵略者を追い払ってしまいたい――ということで、漢方ではもっぱら身体の反応に援軍を送りこむような感覚で構成された処方を用います。

例えば疾患の初期で病邪がまだ体表近辺からそれほど進行していない時には、身体を温めることで病邪の運び込んだ冷気に対抗し、内側からの気の発散を促すと同時に閉じた毛穴を緩め開いて入り込んだ病邪を効率よく発散させる、といった具合に。

ちなみに「かぜの初期」の適応とされる比較的ポピュラーな漢方処方の葛根湯(かっこんとう)はまさにこのような処方構成となっています。非常に大ざっぱな説明をしますと、生姜(しょうきょう)、麻黄(まおう)で身体を温め、葛根(かっこん)、芍薬(しゃくやく)、甘草(かんぞう)で筋肉や毛穴の緊張を緩め、桂皮(けいひ)では身体を温めつつ気を発散させてその勢いで病邪を吹き飛ばし、そして大棗(たいそう)で罹患のために消耗した体力を補う…といった形。そして葛根湯に助けられた身体の機構は汗と共に病邪を排出し、解熱、治癒へと経過してゆくのです。

ちなみに葛根湯は「体力中等度以上」の人に使うべき処方、となっています。もっと体力のない人には麻黄と葛根の入らない桂枝湯(けいしとう)を使用します。これは病邪への反応力が小さいがために「毛穴が半開きで既にじっとりと汗をかいている」ことを判断基準とし、「そんなに温める必要も毛穴を開く必要もない、強い薬のせいで過剰に発汗することになったら却って消耗するので」という理由で葛根等ではなく桂枝湯がより適するとされるのです。

 

「ものがたり」に振り回されない、おそれない

もちろん上記の解説はすべて「漢方というものがたり」の中で完結しているものです。急性発熱性疾患やその治療法について試行錯誤しながら観察を続けるうちに、つじつまが合うように組み上げられたものがたりである、とも言えます。

ただ、症状と重ねられた観察にはごまかしはありません。

漢方というシステムは、症状から「使用すべき処方、生薬」をより効率よく導くためにものがたりを組み上げ、身体になるべく負担のないよう速やかな治癒を目指しているのだ、という視点を持つことで、漢方という「ものがたり」に振り回されることなく、また忌避することもなく活用しやすくなるのではないでしょうか。

 

 

 

執筆者プロフィール

糸数 七重
糸数 七重日本薬科大学漢方薬学分野講師・同大学漢方資料館学芸員
東京大学薬学部卒。同大学院薬学系研究科修士課程・医学系研究科博士課程修了。博士(医学)、薬剤師。

沖縄県石垣島字石垣出身の父、字登野城出身の母の間に生まれ、石垣と東京を往復しつつ育つ。
学部学生の頃より漢方医学をはじめとする東洋医学に興味を持ち、漢方薬理学を専攻する傍ら薬膳についても学ぶ。国立医薬品食品衛生研究所生薬部研究員、武蔵野大学薬学部一般用医薬品学教室助教を経て現職。
現在は台湾・中国医薬大学研修派遣研究員として日本と台湾を行き来しつつ、漢方および薬膳に関する研究を行なう。一方でヨガをはじめとする東洋のボディワークについても学び、活動する身体を支える医療と食についても研究・実践を深めている。