N-1人の君へ ニューロエシックスとAIをめぐる書簡

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美馬 達哉

美馬 達哉

社会学者、神経科学者、脳神経内科専門医、医学博士
臨床病院勤務、米国NIH研究員、京都大学医学研究科脳機能総合研究センター准教授を経て、2015年より立命館大学先端総合学術研究科教授。 さまざまな難病を扱う脳神経内科の臨床を行うと共に、社会学を中心とした手法で、医療や生きることに関わる人文学的研究を行っている。
著書に『<病>のスペクタクル』(人文書院、2007年)、『脳のエシックス 脳神経倫理学入門』(人文書院、2010年)、『リスク化される身体 現代医学と統治のテクノロジー』(青土社、2012年)、『生を治める術としての近代医療』(現代書館、2015年)。

 

ぼくは自分自身の脳情報をサイバー空間に完全コピーして保存するマインド・アップロードの「事前指示書」にサインしたところだ。昔はリビング・ウィル、つまり「生前の遺言」とも言ってた書類だ。だが、アップロードされて人格は継続するのなら、何の「事前」なのか、そもそも遺言と似たものなのか、もはや分からなくなってきている。

 

そんなことは法律家たちに任せるとして、今ぼくは、アップロードの先輩にあたる君、まだ目覚めていない君に向けて、この手紙を書き始めた。

 

やがて目覚める君はどんな表情でこれを読むだろうか。

 

 

もちろん、アップロードされた君はすでにデジタルデータになっているのだから、顔の表情はバーチャルな三次元再構成だし、手紙を読むのはスキャンしてテキスト化することに過ぎない。そのことはわかっているつもりだが、やっぱり生身の身体を持っていたころの君を想像してしまう。

君が人生の終わりにそれを選んだとき、まだ脳情報のアップロードは珍しかったね。

 

ちょうど、記憶力や判断力を補助するサブブレインを脳に装着する技術が発明された頃だった。サブブレインは、認知症の患者さんの治療のためにだけ使われるべきか、アンチエイジングとして仕事を続けたい老人にも使っても構わないのか、認知機能を増強するエンハンスメントとして若者にも自由に手に入るようにしてもいいのか、そんな議論もあった。脳神経内科医師で人文社会系の研究にも関わっていたぼくも、脳神経倫理つまりニューロエシックスの立場からいろいろ意見を言ったものだ。だが、簡単に結論が出るものではない。治療(トリートメント)は良くてエンハンスメントは慎重にと論じるのは正論だろうが、「よき生」の実現のために何でも試してみるのが人の性だからね。

 

エンハンスメントに対しては、経済格差のままに認知格差が拡がるのではないか、努力や責任という価値観がむしばまれるのではないか、本来の自分自身を見失ってしまうのではないか、そんな批判が主なものだったと記憶している。とはいえ、記憶容量を増やしたり、判断スピードを上げたりするツールに過ぎないとわかって、論争そのものが消え失せた。そして、小型で安価になったサブブレインは瞬く間に普及した。

 

自動車が歩くための努力を消し去って人間の足を用無しにしたわけでもないし、インターネット検索で勉強することが不要になるわけでもないのと同じことだ。記憶容量の増大は短絡的に「よき生」につながるわけでもない。発達障害者の中にはサヴァン症候群といって、見たものすべてを写真のように記憶できたり、カレンダー計算を瞬時にやってのけたりする才能を持つ人たちもいるけれど、そうしたでこぼこな才能を持つ人びとが特別に幸福とか不幸であるわけでもないしね。

 

でも、サブブレインはあくまで補助ツールでしかなかった。しわ取りの注射くらいしか無かった時代に比べてアンチエイジングの技術が進んだ「人生100年時代」であっても、アナログな身体そして脳は劣化していくことは避けられない。そして、君はマインド・アップロード計画の被験者に志願したんだった。

 

脳情報をアップロードすることで人格をサイバー空間上に再現するなんて無茶は、心と脳との関係を問う心脳問題の議論の蓄積をすっ飛ばした素朴な人間機械論と僕は反対したんだったね。1人称で語るしかない「心」で経験される意味の世界と、物質の世界での因果関係のつながりで説明可能な「脳」での出来事を直結させることはできない、まあそんな内容を話した記憶がある。

 

でも、事前指示書での本人同意が存在する以上は、君のマインド・アップロード計画は予定通りに進んでいった。第三次ヒト・コネクトーム計画で開発された手法で、個々人の脳の神経回路を一瞬で固定して解析し、サイバー空間に再現するのが計画の核心の一つだった。君の脳が透き通ったガラス細工みたいになって、神経回路の3Dスキャンに掛けられたときは本当に驚いたよ。生体の汎透明化技術を見たのは初めてだったから。

 

マインド・アップロード計画のもう一つの核は、脳ではなく君の行動パターンに着目して、ビッグデータからハイパー・ディープ・ラーニングのアルゴリズムで君の「人格」を再構成することだった。何をどんな頻度で購入していたか、どんなアートが好みだったか、何をサーチし、どのサイトをクリックしたか。君の認証コードと結びついた膨大な情報が集められた。それだけではなく、ぼくも含めて君の周囲の人たちがどんな人たちで君とどういう関係にあったか、そして君の評判もすべて集められたらしい。それに加えて、君に関するすべての写真と動画もだ。監視用CCTVの画像までももれなくサーチしたと聞いている。

 

そうして集められた行動パターンに現れた君の「人格」からボトムアップで君のマインドを再構成するのと、サイバー空間に再現された脳情報からトップダウンで君のマインドを再構成するのと、両面作戦というわけだ。その二つを融合させてマインド・アップロード計画は完了し、サイバー空間での存在として君は再生する、はずだった。

 

ここからは少しつらい話になる。暫定バージョンで脳情報から再構成された君を見ることは無類の苦痛だった。死と同時に固定された君の脳には、生物学的な死を前にしたときの不安や苦痛や恐怖、そして感情的な混乱の傷跡が残っていたからだ。安楽死と同じような手法が使われたはずだが、死に落ち込む瞬間におきる感情の嵐は完全にはコントロールされなかったようだ。研究者たちはその「ノイズ」除去に全力を挙げている。だが、人生の苦しみはすべてノイズとして否定されるべきか、ぼくにはそうも思えない。

 

 

ビッグデータでの行動パターンから再構成された暫定バージョンの君に出会ったときは声も出なかったよ。バーチャル映像も合成音声も抑揚も趣味や考え方もまさに君そのものだったからだ。研究者たちによると、人間の人格をAIでこうして再現することはもうゴールが見えているので、新カーツワイル計画でのシンギュラリティの創成、つまり超知能を実現できる汎用AIの研究開発のほうが先端的らしい。でも、そこでぼくはめまいとともに落下する感覚に襲われた。ちょっと哲学的には、相関主義の不安とでも言えるかもしれない。ぼくや他の人たちからもサイバー空間からも離れて誰とも相関せず一人でいるときの君は、再構成された君からは完全に失われてしまったと気づいたからだ。

 

トップダウンとボトムアップの二人の君を融合させることはまだうまくできていない。つまり、君はまだ本当には目覚めていない、といえる。でも、それは本当だろうか、近頃そんなことを考える。暫定バージョンとして日々刻々に更新されていくたくさんの君はすべて本当に君なのではないかと。にもかかわらず、現実世界で身体を持ったただ一人の君はもう存在しないという事実だけはどうやっても乗り越えられないのではないかと。

 

こんな感覚は昔から未解決の「記号接地問題」の一つなのかもしれない。それは、サイバー空間のなかでの情報を示す記号と現実世界での意味とがどう結びつき「接地」され得るのか、という問いだ。更新されるたびにバックアップされるサイバー空間にいる無数の君と失われたシンギュラーな君は本当につながっているのか。

 

そういうわけで、ぼくもマインド・アップロード計画に志願することにした。ぼくも君も接地されていないとすれば、少なくとも二人の間では記号接地問題は消え去るんじゃないかな、と思いついたからだ。でも、身体を持っていた時と同じですれ違いだけが永遠に残っていくのかもしれない。

 

Je t’aime… moi non plus

 

 

 

参考文献

新井素子、宮内悠介ほか、人工知能学会編『人工知能の見る夢は AIショートショート集』文春文庫、2017年

西垣通『AI原論 神の支配と人間の自由』講談社選書メチエ、2018年

イブ・へロルド、佐藤やえ訳『超人類の時代へ』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017年

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美馬 達哉

社会学者、神経科学者、脳神経内科専門医、医学博士
臨床病院勤務、米国NIH研究員、京都大学医学研究科脳機能総合研究センター准教授を経て、2015年より立命館大学先端総合学術研究科教授。 さまざまな難病を扱う脳神経内科の臨床を行うと共に、社会学を中心とした手法で、医療や生きることに関わる人文学的研究を行っている。
著書に『<病>のスペクタクル』(人文書院、2007年)、『脳のエシックス 脳神経倫理学入門』(人文書院、2010年)、『リスク化される身体 現代医学と統治のテクノロジー』(青土社、2012年)、『生を治める術としての近代医療』(現代書館、2015年)。