変わらないもの。

秋になりました!暑い夏は前半で、後半はすっかり残暑のように涼しい日が続き、逆に日照りが無くて寂しくなっちゃったり。これまで書いてきたように、私には今のところ5歳と1歳の男の子達がいて、仕事は主に夜間授業です。

なので、午前中に子供達と遊ぶことが可能です。私の家族はこの夏、東京から自分の実家の近くに引っ越してきたので、子供と遊ぶことにより、自分の小さかった頃に行った所へ赴き、自分が小さかった頃のことを思い出します。

上の子を自転車の後ろに乗せて菊名の図書館へ行ったり、更に先の大倉山公園、逆の方向の六角橋商店街や東神奈川まで走らせてみたりしました。5年前まで横浜に住んでいたのに、子供がいると視線が違うのでしょう、あれ、ここって昔と変わったと気が付くのです。

正に自分が子供の頃に、帰ってしまったような錯覚が生じたのです。もう何度も立て直されている近所の家が、45年前の風景として甦るのです。この記事を読んでいる若い人たちにとって「45年前」など、本当にオジサンが言うセリフだなと思います。

 

秋の栗

 

50歳、まだまだ若造

私は25歳で大学に入学、32歳で大学院を出て2年は大学に残っていました。38歳で結婚、42歳で子に恵まれた私は、父親としてはまだ5歳でしかありません。やることが遅すぎるのですね、笑。友人で本当に孫が出来ておじいちゃんになった者もいます。

SNSのおかげで、小学校の同窓会に誘われたのは2012年頃だったと思います。その時逢った同級生に「30年ぶりだね」と言われ、ぎょっとしました。無我夢中で世間と無言で闘い、学問を繰り返してきたので、振り返ったらそれ程の時間が経っていました。

私は小学生の時に大学生と、高校生の際には社会人、社会に出たら自分の親より上のアーティスト達と付き合ってきているので、尚更です。私はいつも末席でした。だから努力できたのかも。ふと思うと、会社員なら中間管理職の年齢です。

今、論文を書いています。一本出来上がったのでこの原稿に向き合えたのですが、対象のアーティストは1925年生まれ。今93歳で、入院して起きられなくなったと聞いていましたが、7月に会った時、目が爛々と輝き、立って移動するほど元気でした。

もう一本は、三人のアーティストをまとめて論考します。残念ながら二年前に亡くなったアーティストが一人いますが、残りの2人はお元気です。三人とも1928年生まれ。このように元気なアーティストと付き合っていると、50歳でも若造なのです。

 

学校がキライだったから、教師になった

だから私は年齢感覚が狂っています。「今、70歳です」と言われても、内心「若いな」と感じます。何故先輩アーティスト達が私と付き合ってくれるかというと、偉大な先輩達は、年齢を盾にして決して威張らない。それどころか対等です。

そのため、私も学生に対しては「早く卒業して対等の立場になって一緒に仕事しよう」と訴えています。ですから、教師なのですが先生としての機能が果たされていない。授業は常にゼミ方式で、それぞれの学生の発想を尊重しています。

自分が教師をしているのも、可笑しなことです。あれほどまでに学校教育に反撥し、「不登校」ではなく本当に登校を「拒否」していました。大学でも教員免許は取りませんでしたが、院を出て専門学校で教えてよと頼まれたとき、キライだからやってみようと思った。

18歳の学生だとすれば私と30歳しか違わない、私と先輩アーティストは45歳違うのだから、まだまだだな、なんて考えてしまうのです。親御さんの歳を聞くと、私より若かったりする笑。私の下の子まだ1歳。身の程知らずもいいところです。

 

なんにもない、市営プールの夏

横浜には市営プールが沢山あります。神奈川がそうなのでしょうか、高校野球を見ると、神奈川には凄い数の高校があるので、激戦区となっています。葛飾に住んでいた頃は、四ツ木や亀有に「親水プール」に良く行っていました。横浜にはありません。

京都の人は「プールなんてフィットネスクラブにしかないのじゃないかなあ」と言っていました。場所によって違うのでしょうね。私が小さい頃は、菊名池プールと篠原公園地プールに行っていました。

洋光台に大きなプールがあったと記憶しています。なんと、港の見える丘公園の近くにもあって、入った気がする。家族でプールに行った写真をSNSで公開したら、小学校の同級生が「野毛のプールは10数年前に消滅した」とのこと。

菊名池プールへ今年最後に行った際、何十年か振りに二階のレストランへ行きました。ちょっとオシャレになっていたが、基本同じで驚いた。ラーメンはやはりその程度であったが、ここで食事をする貴重な体験に、とても満足しました。

菊名池プール二階レストラン

 

菊名池プールは上の子が1歳の時、まだ横浜に住んでいたので4年振りでした。プールを後にする時、係りのおじいちゃんが「また来年ね!」と声を掛けてくれたので、ほっとした。通称「篠原公園地プール」は、その存在すら私は忘れていました。

正確には、神奈川県立篠原園地幼児プールと言う。菊名池プールは、現在では流れるプール、中庭プール、子供プールと充実していますが、篠原公園プールはその名の通り、深さ15㎝程度の幼児プールと深さ60㎝の児童という、二つのプールしかありません。

何と、シャワーはプールに入る前の入口の六機のみ。脱衣所は流石に男女別だが、カゴが20個程度あるだけで、冷房もゼロ。売店もなし。ジュースさえ売っていません。しかし、このシンプルさこそ本当のプールの魅力ではないだろうか。

 

県立篠原園地幼児プール: https://iko-yo.net/facilities/13561/attractions/6710

 

私も恐らく43年振りに入りました。上の子と同じ、5歳の記憶が甦った。プールはどこも同じではない。中の塗装、外の環境、同じ地域であっても、菊名池プールとは異なる光がプールに差し込む。潜るのが小さいときから好きな私は、再び潜った。同じ光を見た。

 

篠原池プール1

 

篠原池プール2

 

激変する50年、変わらない50年

私は子供の頃の感傷に浸っているのではありません。この変わらない50年とは一体何なのかを考えているのです。無論、世の中は大幅に変化している。敗北に満ちた70年代はバブルの80年代へと、何もないと考えられる90年代には携帯電話が出てきました。

2000年代は、機械が全てをやってくれるようになりました。パーソナルなコンピュータが当たり前となった。しかしこのプールのように、変わらなくとも問題なく機能していた存在も多々あります。私もまた、変わらないだけなのかも知れません。

1960年代生まれの人にとっては私と感じ方が違うだろうし、1980年代生まれの世代では、冷暖房という空調が整っているのが当たり前でしょう。1990年代生まれの世代は、携帯とパソコンが幼少からの必需となっています。

しかし、時代は激動するでしょう。篠原地プールは50年以上の老朽化で、今年で最後です。神奈川県議会議員の大山奈々子さんによると「運営費は年間500万。改修には2億かかる。(…)昨年は保育園や幼稚園の子たちが延べ4000人も利用しています」。「私の頭の中は、「セレクト神奈川」という、1社上限10億円の誘致補助金を100社分想定する企業誘致メニューや、トヨタやホンダの水素カーを普及させるための全国初の補助制度、例えば一台に100万の補助(現在は70万円になっているとか)制度を思うのです」。

 

2013年、神奈川県は財政難を理由に県が所有する美術館や図書館までを含む文化施設を手放そうとしました。ここで政治の話をするつもりはありません。「公立」「公共」の概念が大幅に変わろうとしていることを、伝えていきたかったのです。

今回は「時間」「変わらないもの」「制度」と三つを取り上げましたが、詳細は次回。

 

 

 

執筆者プロフィール

宮田 徹也
宮田 徹也美術批評/研究
1970年横浜生まれ。中学不登校、高校1年生を3回、2年生を3回やって中退。大検合格から自己推薦で和光大学に入学。6年かけて卒業、浪人を経て修士課程入学、普通に修了。街をさ迷い、批評活動を開始。専門学校、予備校の講師、大学の非常勤勤務。小さな新聞や雑誌、美術展のパンフレットなどに執筆。敗戦後日本前衛美術、ダンス、舞踏、音楽、デザイン、映像、文学、哲学、批評、研究、思想を交錯しながら文化の【現在】を探る。