人間力とは?(上)

 

「人間力」と言ったって

連載二回目です。一回目は美術研究や批評とは何かを問うている筈なのに、宮田の自己紹介が続きそうになりながら、なんだか話は「優れた仕事」とは何かということにすり替えられ、知識人批判から「利潤追求」ではダメだということになり、突如「人間力を鍛える!」と言われてもワケガワカラズ混乱した読者がいるのではないでしょうか。

 

私はワザとはぐらかしたり、話を飛ばしたり端折ったりしているわけではありません。かといって、緻密に計算して読者の皆様を退屈させずに最後まで読ませようとするテクニックもありません(笑)。無論、言いたいことを伝える努力は最大限に行っています。とにかく、お話したいことが沢山あるのです。オジサンがブツブツ言っていると思ってください。

 

では、一度本題に戻しましょう。「人間力とは何か」を、まずは説明しなければなりませんね。牛や馬などの動物が生まれてすぐに四足で立ち上がる姿には、感動がありますね。私達人間は、生まれたての時には何もできません。おぎゃあと泣き、辛うじておっぱいを吸うだけです。虫や微生物、植物など、単純になればなるほど、もっとたくましい。

 

まあ、ここでは人間が未完成の哺乳類であるなどの科学的見地はおいておきましょう。赤ちゃんは親、もしくは親に代わる人に育てられ、大きくなっていきます。しかし、いつかは親元から独立していかなければなりません。それが産まれたてか、3歳からか、6歳からかなどといった、幼児教育的考察もここでは省きましょう。

 

「親離れ」は何のため?

子供は何故親から離れなければならないのか。自分の力で生きていかねばならないからです。するとまた問題が生じてきます。「自分の力で生きる」とは、どういうことでしょうか。経済的な自立でしょうか。前回「人間力」が「利潤の追求」とは異なることを示したので、ここでの議論においてそれは違うということを多くの読者は理解して下さると思います。

 

赤ちゃんはまず、首が据わり、寝返りが出来るようになると自ずとハイハイするようになります。おすわりができる頃には離乳食も始まります。体がしっかりして立ち上がり、そして歩き始めます。親の保護から外れ、初めての自立が訪れるのです。これに前後して、アバアバと喃語の発音が起ります。この辺から、赤ちゃんの自己主張が激しくなるのです。

 

手先はどんどん器用になり、スプーンやフォーク、アジア人の場合は箸を持ち、細かなものも上手に掴みます。二足歩行ができなかったとしても、何処にでもよじのぼっていきます。危なくて仕方がない。赤ちゃんは社会の常識など知りませんから、自己の赴くままに行動します。それは時に、エイリアンのように暴力的でもあります。

 

ここで親御さんは、社会常識を「躾」ていきます。この躾が難しい。何が正しく、何が間違っているのかを、親御さんは問われます。根気強く赤ちゃんに付き合う人もいるでしょう。電車の中で煩いのは反社会的行為であるという冷たい視線に耐え切れず、タブレットでアニメを見せて黙らせる場合もあります。ここで、子供の将来は決まってしまう。

 

勘のいい読者であれば、これが「人間力」の育成の一つであることを見抜くと思います。しかしここでそれを論じると、「自分の力で生きる」ことの考察になりませんので、ちょっとお待ち下さい。あかちゃんが親御さんから一時的に、本当に独立するのは、トイレが自分でできるようになることではないかと僕は思うのです。

「迷惑をかけない」という「戦争」

幼稚園に年少で入る3歳児は、トイレが出来るか出来ないかくらいです。出来なくとも幼稚園の生活は困りませんが、要は、幼稚園に自主的に行くということは、親元から離れて存在できるということです。無論、これは私の独断と偏見です。保育園の場合を私は知りません。様々な場合があることでしょう。でも、余り大差はないと思います。

赤ちゃんから子供へ。幼稚園生活という、家庭の外の世界での生活が出来ると、ある程度、何でもできてしまいます。公園で幼稚園以外の友達と遊んだり、家に帰ると一人でシャワーを浴びたりするなんてこともできてしまうのです。教えれば、買い物や料理もできてしまいます。お金を稼ぐこと以外が、何とできてしまうのです。

 

小学校に入ると、そこからは受験戦争の始まりです。この国で生き残るためには、お金が必要です。お金を稼ぐ為には、いい中学、高校、大学を出て、一流企業に入って定年まで「利潤の追求」を行い、老後は退職金と年金で生きなければなりません。年金はいつまであるのか…。これこそが誰にも迷惑をかけず「自分で生きる」ことだと誰もが思います。

 

そうやって小学生からずっと「戦争」を続けると、他の人を信じるどころか知る力もなくなります。良かれと思って「躾」をした自らの子供が犯罪者になって「うちの子に限って」なんて話、聞き飽きましたよね。大学まで出たのに、親友は小学生の頃の友人しかいないなんて人を私は責めたりしません。そのような世の中だから仕方ないですよね。

 

紙面が尽きました(笑)。この項は続きます。でもここまで読めば分かるように「人間力」とは単に、自己と他者を慮ることだけなのです。その具体例を次回に示していこうと考えております。それは決して道徳的でも、倫理観でも、宗教的見地でもありません。これらが含まれてはしまいますが。説教臭くならないことを心がけます。(続く)

 

 

執筆者プロフィール

宮田 徹也
宮田 徹也美術批評/研究
1970年横浜生まれ。中学不登校、高校1年生を3回、2年生を3回やって中退。大検合格から自己推薦で和光大学に入学。6年かけて卒業、浪人を経て修士課程入学、普通に修了。街をさ迷い、批評活動を開始。専門学校、予備校の講師、大学の非常勤勤務。小さな新聞や雑誌、美術展のパンフレットなどに執筆。敗戦後日本前衛美術、ダンス、舞踏、音楽、デザイン、映像、文学、哲学、批評、研究、思想を交錯しながら文化の【現在】を探る。