人間力とは?(美術編・上)

連載四回目です。ここで一つの区切りをつけようと思います。余りにも話しが広いので(笑)。「人間力」とは、要は「自分で生きること」、「自分と他者を慮ること」、「自分と他者を区別すること」、「自己の尊厳を守り、他人を尊重すること」であると私は続けてきました。それは単に、「オープンマインド」であればいいということです。

芸術は「自由」か?

なんだ、そんなことか。それなら、はじめからそう言えばいいじゃないか。と、いうわけにはいきません。私は新興宗教や自己啓発セミナーのように、いきなり話を飛ばすわけにはいかないのです。そして、読者の皆様がオープンマインドになることによって、収益や利潤を上げることに賛成はしていないからです。

 

かといって、収益や利潤をあげることに役立てることに反対もしていません。ただ、収益と利潤の世の中に、それだけではない価値観を見出して欲しいのです。読者の皆様は、芸術の世界って、なんと自由なのであろうと思っていることでしょう。違います。世間と同じ村社会です。世間以上に保守的ともいえます。

 

村社会、美術の場合

ここでは芸術の世界の中の、美術の場合を説明します。美術とは簡単に説明すると、アーティストが制作する作品、作品を売るギャラリストや展覧会を企画するキュレーター、作品とアーティストを研究する研究者、展覧会を宣伝するライター、作品に触れ合うコアなコレクターと気軽なファンなどによって構成されています。

 

このアーティスト、キュレーター、研究者、ライター、ファンというたった五種類の人種の方々が、どうにも仲が悪く、互いに貶し合いながら自己の立場を守ろうとするのですね。私も大学に入って、とても驚きました。仕事を始めて更にびっくりしたのは、この五種類の方々が、互いのことを全く理解していない場面が多々あったことです。

 

蔑み合うアーティストたち

日本のアーティストは主に日展、院展などの公募団体に所属するアーティストと、どこにも所属しないで常に前衛的な思想を追求するアーティストに分かれます。勿論、単に作品を制作することが好きで仲間内だけを集めるアーティストもいます。しかしそういったアーティストは公共性が薄いので美術館などの展示もありませんし、自ら求めてもいません。

 

公募団体系のアーティストは上手くいくと芸術院という国家と直結に繋がる可能性が高いので、途轍もない権威が発生する場合があります。そのため、公募団体系のアーティストは無所属のアーティストを相手にしない傾向にあります。反対に無所属のアーティストは権威を嫌いますので、公募団体系のアーティストを国家の犬と蔑む傾向があります。

 

社会問題を盛り込んでもダメ?

公募団体系か、無所属か。どちらを応援するかで、キュレーター、研究者、ライター、ファンが分かれていくのです。とても悲しい現実です。それどころが、この四種の方々は、専門性を追求する余り、美術のことしか知らないことがあります。社会問題を盛り込むと「アイツは社会派だ」と、まるで「赤」*を見るのと同じように睨みを利かせます。

 

これまでの連載に書いてきたように、自分と他人の区別がつかないのです。自分だけが正しいと信じています。美術は特別な世界だと自負しています。これではいけません。美術の世界を理解するためには、その時代の法学、教育、政治、経済、医学、科学の動向を理解しようとしなければなりません。これは、互いの学問にも当て嵌まります。

ギャラリートークの様子

自ら行っていることを疑え!

そんなことも考えもせず、美術関係者は、自らの主張が正しいと繰り返すのです。困ったものです。勿論、専門的な知識は前提になる必要はあるでしょう。しかしその前提が根本的に間違っていたらどうすればいいのでしょう。そこまで私達は、自らが行っていることに対して懐疑的になる必要があるのです。
ヒトラーの時代には、ドイツ国民のほとんどが、本気でユダヤ人を「塵」だとおもっていたことが、最近の研究でも明らかになっています。今度はユダヤ人がパレスチナ人を虐めている。何が正しくて、何が間違っているのか、さっぱり分からなくなった時代です。それは、美術だけではなく全ての世界が同様なのです。

 

美術程度も知らずに生きていけるかい?

私は「人間力」を提唱していますので、自ら実践して、人間力を鍛えようとしています。次回に詳細を記しますが、高校生のときから私は哲学を独学しました。美学、美術史、社会学、宗教学、文化人類学、歴史学など、人文系の学問を大学や大学院で単位と関係なく、自らのために講義に出て学びました。

 

ところが、特に医学、法学、政治学、自然科学は全く学んでこなかったので、最近になって独学を始めました。特に法学は苦手ですが、大学生の教科書を古本屋で安く買って勉強すると、こんなことを知らずによくぞ生きてこられたなと感心すると共に反省しています。勿論、勉強は始めたばかりなので、知ったかぶり程度の浅い知識です。

 

この話をすると、大体の美術関係者が「なんのためそんなことするの?」と、怪訝な顔をして聞いてきます。読者の皆様のほうが、ピンとくるのではないでしょうか。社会を知らない人間が、美術を知ることができようか。逆に考えると、美術程度も知らずに社会では生きていけないのかも。いろいろ考えますね。話が終わらなかった。次回に続きます。

*「赤」:戦前・戦中期、社会主義・共産義活動家を侮蔑的に指して用いた呼称。

 

執筆者プロフィール

宮田 徹也
宮田 徹也美術批評/研究
1970年横浜生まれ。中学不登校、高校1年生を3回、2年生を3回やって中退。大検合格から自己推薦で和光大学に入学。6年かけて卒業、浪人を経て修士課程入学、普通に修了。街をさ迷い、批評活動を開始。専門学校、予備校の講師、大学の非常勤勤務。小さな新聞や雑誌、美術展のパンフレットなどに執筆。敗戦後日本前衛美術、ダンス、舞踏、音楽、デザイン、映像、文学、哲学、批評、研究、思想を交錯しながら文化の【現在】を探る。