人間力とは?(中)

 

ひまつぶししてるわけじゃない

こんにちは。今回もまた、「人間力とは?」を明らかにしていこうと思います。しかし、なかなか難しい。私は電車内で「ひまつぶしで終わらない。」という広告を目にしました。「人は、ひまだとスマホをいじる。今この広告を見ているあなたも、きっとそうだと思います。その瞬間に、『経済ニュース』はいかがでしょう。」

 

「厳選された記事を、今すぐ使えるプロの解説付きで。ひまつぶしのためだけのニュースは、そろそろ卒業しませんか」。なんだか私の記事に似ていますね(笑)。プロの解説で今すぐ仕事に生かそうとは私は書きませんが、ぼーっとしている時間があるなら有効に使おう、考えることをしようという発想は一緒です。

 

私はこの広告を見て、「これではダメだな」と感じました。なぜならスマホを見ている人たちは暇を潰しているのではなく、他のことをしたくないから、考えたくないからどうでもいいことをしているのです。昔、朝の出勤時間に電車内で、座ってスポーツ新聞のアダルト欄を食い入るようにみている人を発見しました。

 

私はこの人に対して、結構お盛んなのだなとは感じませんでした。性的な妄想を繰り広げ、桃源郷に到達しようとしていません。なにせ、必死なのです。「仕事が嫌で考えたくない」という顔をしています。頁を捲っても同じ顔をしているのです。スポーツ欄でも、ゴシップになってもむっとしている。新聞を読んでいないのですね。

 

保身・保身・保身

現代社会のストレスはハンパではありません。生き残ることしか考えられません。どのような人間を目指し、どのような人生を送っていくべきかなど、思いも付きません。ただ周りに負けないよう、村八分にされないよう、他者が攻撃されていたら自分に火の粉が降り掛からぬよう、保身に走るのみです。

 

日本って、実は昔からそういう社会だったのではないでしょうか。敗戦後の汽車には自分だけ助かりたい人間が殺到したと戦争経験者に聞いたことがあります。明治維新で軍国主義になっても反対した人はどれだけいたのでしょう。権力者が武士、坊主、宗教も渡来の仏教になっても、何か言う人は極端に少なかったのではなかったでしょうか。

 

だから良いとは思いません。しかし、この歴史的変遷と今日の状況を受け止めて、私達は生きていかなければなりません。私はこういった保身的な状況だからこそ、「人間力を鍛える」チャンスだと思うのです。この時代に「人間力を鍛えよう」などと思う人は少ないのです。「人間力」はこれからの未来に、否、人間の生活に不可欠な発想です。

 

「違う」ことを認めろ

前回私は、「人間力」とは「自分で生きること」であり、「自己と他者を慮ること」であると定義しました。今回はこの点について、更に考えていこうと思います。まず重要なのは、他人と自分の区別をつけることです。他人と自分は違うのだ。違っていて当たり前なのだと自覚することです。これって、実はハードル高い。

 

「何でアイツはこっちの気持ちが分からないのだ」。「普通、こんなことしないだろ」。「ありえないね」。こんなことを私達は毎日、何度考えるのでしょう。身勝手な人間に限って、「アイツは身勝手な奴だ」だと批難している姿を見て、鼻で笑ってしまうことがありますよね。ということは自分もヤバイってこと。

 

 

許したほうがカッコいい

自分は大丈夫。皆、自分のことはそう思うのですよ。それで間違ってはいない。でも、逆の立場になると、腹が立つ。それならば、寛大に、相手を許すべきだ。相手を許すのには勇気が必要です。なぜなら相手を容認すると、自分に非があることを認めることになるからです。これでは自分が積み上げてきたことが無になる。

 

またはプライドが許さない。あれ、でもよく考えてみれば、プライドなど大したことじゃなく、寛容に許したほうが実はカッコいいじゃないか。すっきりするし、周りの眼も変わった気がする。それどころか考えを変えると世界が拡がり、いろいろなことができるようになると信じられるようになった。自分と他人を区別できるのが、目から鱗ですよ。

 

生きることが楽しくなる方法

自分と他人の区別ができるようになると、自信が出てきます。人に何を言われようと、揺るがない勇気が涌いてくるのです。この「勇気」と身勝手な「勘違い」は全く異なることであると分かってくるのです。「勇気」を持っている人間に、人はついてきます。人がついてくると、更に身勝手ではない「勇気」を持つことに責任が出てくるのです。

 

自己の尊厳を守り、他人を尊重する力を携えれば、老若男女どころか、様々な職種、国籍の人々と繋がります。繋がっていけばいくほど、これまでの自分は何と狭い世界の住人であったことかと気が付くでしょう。世界が拡がると、生きていること自体が楽しくなります。生きることが楽しいと、利潤なんて問題にならなくなります。

 

今回の話は、何だか自己啓発セミナーみたいになってしまいましたね(笑)。そのつもりは、一切ありません。私はお金を取りませんし、読者の皆様を弟子にしようとは一切思っていません。いろいろな人がいて、いいのです。それを認める力は容易ではありませんが、とても大切です。人を認めれば、自分も認められるのです(続く)。

 

執筆者プロフィール

宮田 徹也
宮田 徹也美術批評/研究
1970年横浜生まれ。中学不登校、高校1年生を3回、2年生を3回やって中退。大検合格から自己推薦で和光大学に入学。6年かけて卒業、浪人を経て修士課程入学、普通に修了。街をさ迷い、批評活動を開始。専門学校、予備校の講師、大学の非常勤勤務。小さな新聞や雑誌、美術展のパンフレットなどに執筆。敗戦後日本前衛美術、ダンス、舞踏、音楽、デザイン、映像、文学、哲学、批評、研究、思想を交錯しながら文化の【現在】を探る。